アナガッチンガー物語 前編
世界で初めて成し遂げた深海底での巣穴の型どり.これにより深海という未知の環境の,そのまた下にある環境がどうなっているのか,垣間見えてきました.
ここでは,今回の成果が出るまでの顛末を綴っておきたいと思います.この文章はこのページを作成しているロバート・ジェンキンズの記憶に頼っている部分が多分にあります.もし,事実と違っていることを見つけた関係者の方はご連絡ください.
目次
深海の海底下を目指して
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私は古生物学者で,化石を研究している.中でも深海底から湧き出る冷泉に群がる生物群集(メタン湧水生態系)の化石を研究している.その研究の過程で,どうもメタン湧水の海底下には,海底に潜って生息する二枚貝(オウナガイやキヌタレガイなど)がうじゃうじゃいるらしいことがわかってきた.
現在はどうなっているのかと調べてみると,なんと,海底表面に顔を出しているシロウリガイやシンカイヒバリガイばかりが研究されていて,海底下に潜っている生き物の研究があまり行われていないではないか!
考えてみれば,潜水艇では海底下が見えないのだから仕方がない.
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そこで,「海底下を暴いてやろうプロジェクト」を発足させた.とは言っても私とJAMSTECの渡部さん,静大の延原さんらで空いた時間に考える程度のプロジェクトではあったが・・・.最初に考えたのは,深海の堆積物をごそっとそのまま持ち帰るという方法.業者に潜水艇に装着させる機器開発費を聞いてみたらなんと○百万円もするという!
これまで,ハンマー片手に陸上で化石を採集してきた私にとって○百万円ってもう目が完全に飛んでいって戻らなくなっちゃう金額だ.当時の私の研究費は全部ひっくるめて年30万だったから仕方がない.
完全に深海研究を舐めていた.
仕方がないからハイパードルフィンに私が乗っていってハンマーでサンプリングしてこようかと馬鹿なことを考えたぐらいだ(この妄想を図にして学会で発表してしまった).
とはいえ,動き出さなければならない.まずは航海と資金の確保.
航海の申請は「しんかい6500」などを擁するJAMSTECに行うが,例え航海が採択されても,お金はくれない.航海とは別に資金を獲得しないといけないのだ.そのため,航海の申請は○百万円もする機械をつくれたと仮定して申請を行った.同時に,○千万もの研究費をいただける研究費の公募も別の機関に出した.
結果,なんと航海が採択されて,資金が不採択だった・・・・・.
顔が青くなった.
いったいどうすればいいのか.航海までに代替のもっと安い機械をつくらねばならない.しかし,そもそも資金がなければ何も作れないではないか.
そうこうしているうちに,干潟で巣穴の型どりをしている清家君(私の大学院時代の後輩)から「いやー,樹脂ってすごいんです.海の中でも固まるんですよ」という情報が.これには驚いた.
「ってことは深海でも行けるのかい?」との私の質問に,嘘っぱち(後述)の清家君が「もちろんですよ」と.これは,うまく行けば代替になるどころか,私が当初思っていたよりもはるかに大きな研究ができるのではないか?と私の心が躍りまくりまくった.
(つづく)
2.樹脂問題 固まるのか固まらないのか,それが問題だ
さて,ついにアナガッチンガーの開発に取り組む・・・と書きたかっただが,実はその後,航海のことをすっかり忘れていた.
そのうち,清家君から航海はどうなりましたか,とメールが来た.2010年8月初頭のことだ.航海は・・・2010年10月下旬の予定だったので,そう,残り2ヶ月と少しのタイミング.これはまずい.後悔先に立たずというが,航海はすぐ先に迫っていた.ダジャレを言っている場合ではない.
動揺を包み隠して清家君に「うん,そろそろ準備をはじめなくては.樹脂は順調かい?」とわけのわからない質問をした記憶がある.
このとき,樹脂は清家君がいつも干潟でつかっているものを使えばいいだろう考えていた.
しかしこれが後に大きな誤算であったことに気付く.
しばらくして共同研究者で航海の提案書を一緒に書いた同期の渡部さん(JAMSTEC)から,「樹脂は深海でもきちんと固まるのでしょうね?」といった確認のメールが来た.
どきっとした.
心配になって清家君に質問を丸投げした.
清家君は「そうですね,深海ですからね,どんな樹脂がいいのでしょうか」と逆に聞いてきた.
『そうか,樹脂と一口に言ってもいろいろあるのだな.っていうか俺に聞いたってわかるわけないじゃないか』と心の中で思い,「そりゃ,深海だからな,圧力とか低温とかに耐えられる樹脂ならなんでもいいんじゃない?」と答えた.
ここで清家君がいきなり動揺する.
「て・・・低温っていいました?深海って寒いんですか?」と聞いてきた.
「そりゃ寒いさ.日本海の1000mつったら零下だよ.今回の航海で行く相模湾や南海トラフだと1000mで2℃とか3℃だと思うよ」と答えると清家君から驚きの発言が飛び出した.
「そんなに寒かったら樹脂が固まりませんよ!」
え?なんだって?樹脂が・・・固まらない??? 衝撃.『だって君は深海でも樹脂は余裕で固まりますよって言ったじゃないか.清家君の嘘つき-!』と心の中で叫んだ.
航海間近にして(よくよく考えれば,壮大な計画を立てた割りには資金もなく,動き出すのも遅かった私が悪いのだが),秘密兵器の代替案が夢物語になってしまいそうだ.これはまずい.何か考えなくてはならない.
「そうだ,北海道とかって冬は寒いでしょ(あたりまえだ).そういう寒冷地仕様の樹脂ってあるんじゃないの?」と苦し紛れの質問.早速清家君が調べた結果,確かに寒冷地仕様の樹脂があるとの吉報とともに,その手の樹脂は発売時期が決まっていていまはどこにも在庫がなく,この時期は生産もしていないので航海に間に合わせることはできないとの凶報も告げられた.
もっと早く準備していれば・・・.しかし,これで諦めてはいけない.
ここで清家君のナイス思いつきが飛び出した.
「もしかすると,樹脂と硬化剤の混合比を変えればいけるかもしれませんね」.
私はそのアイデアに大賛成.何しろ他に頼る術がないのだから!
ここから怒濤の清家君の働きがつづく.研究所でひたすら様々な樹脂に対して,0℃でも固まる硬化剤の配合比を見つけ出す実験がスタート.がんばれ清家君!!
ここで一通のメールが届いた.JAMSTECの運航部(船の運航を司る部署)からだ.
要は,「そろそろ航海が近くなってきたので,ハイパーチーム,船との打ち合わせ会議をしましょう.ところでジェンキンズさん,提案書にあった新しい機器(○百万もするやつ)はどうなりましたか?」と.
・・・・まずいよ.打ち合わせまでにはかなり具体的な戦略が立っていないといけないのに,こちらはそもそも樹脂が深海で使えるかを悩んでいるのだ.○百万もする機械はお金がないから当然却下.ひたすら言い訳を考えてはじめた.
しかし,ここで朗報が飛び込んできた.
清家君から「0℃でも固まる配合比を見つけました!この樹脂で行けます!!」との力強いメールの一報だ.
これで一安心.早速,JAMSTECには,「新しい機械よりももっといい方法を見つけたのでそれでいきます.詳しくは打ち合わせの時に話します(心の翻訳:今は何もできていないので詳しく話せない)」との返事を書いた.
樹脂の話に戻ろう.低温でも固まるようになったとはいえ,もう一つ,問題がある.深海は高圧力の世界だ.その高圧下でも固まるかを確認しないといけない.圧力実験はJAMSTECの人々が得意としているので,私はすぐにホットラインを同期の渡部さんにつないだ.樹脂が深海でも固まるかチェックしたいんだけど,どうしたらいいだろうかと.すぐに渡部さんが所属研究室の方々にお願いして,1000気圧までかけられる実験装置が借りられるようになった(関係者の方,感謝).
すぐに私と清家君がJAMSTECに出向き,いくつものミニ高圧実験装置にスーパー配合比の樹脂と硬化剤を混ぜ合わせたものを入れ,1000気圧や100気圧などの様々な圧力で,かつ,0℃,4℃などと温度を変えて固まるか確認してみた.
多少固まりにくい温度圧力もあったが,相模湾の水深1000mなら問題がなさそうなことが確認できた.樹脂問題クリアー!!!
(つづく)
3.アナガッチンガー考案会議
さあ,いよいよアナガッチンガー本体の話だ.
その前に,まずは一般的な巣穴の型どりについてお話しする.基本的には,樹脂と硬化剤をまぜまぜして,巣穴に流し入れる.固まるまで待って(固まる時間は数分から数日単位まで樹脂や硬化剤の種類によってマチマチ),それを取り出す(ここら辺はプレスリリース(港空研)の6ページ目(石膏だけど)を見ていただきたい).
当初は,樹脂は船の上でまぜて,混ぜ終わった樹脂を深海にもって行くことを想定していた.しかし,樹脂と硬化剤の配合比を深海対応にしてしまったので,船の上の温度だと混ぜて30分くらいで固まってしまう.
これは大問題だ.
なにしろ30分といったら,ハイパードルフィンに樹脂をセットして,船のクレーンでハイパー君をつり上げ,海に投げ込んだら,「はい,30分!」って感じだ.つまり,船上で樹脂と硬化剤をまぜてしまうと,深海どころか海面に着水したときにはもうガチガチに固まってしまう.
これではアナガッチンガーの型がガッチンされてしまって,そもそも穴じゃないからタダのガッチンガーになってしまう.
つまり,樹脂はハイパードルフィンのマニュピレータで深海で混ぜるしかない!
樹脂に硬化剤を入れて,混ぜる.それを巣穴に注入する.
至ってシンプルだ.人間であれば造作もない.しかし,これを,水の中の,それも深海で,遠隔操作のマニュピレータでやる.それを達成しなくてはならない.これは難問だ.
ここで私のもう一本のホットラインを紹介する.
同期の野牧君(JAMSTEC)だ.彼はいろいろと深海秘密兵器のことを知っていて,私にとっては深海のドラえもんみたいな人だ.
腹黒さは私と同じかそれ以上だが,とても頼りになる.
まずはどうやって潜水艇で樹脂をかき混ぜるか.
最初に私が思いついたのは「サラダスピナー」という野菜の水切りをする装置を応用する方法.くるくる廻る部分にカッターの刃と攪拌のための棒を取り付け,ボウルには樹脂をそのままいれ,さらに風船に入れた硬化剤を入れておく.
サラダスピナーを回せば,くるくるとカッターの刃が風船を破り,硬化剤と樹脂を混ぜ合わせることができるはず.しかし,これは即座に清家君に却下された.シンプルでないし,そもそもサラダスピナーは高い!普通に1個3000円もする.これで何個も試作品をつくったら,予算のない我々はすぐに破産だ.
次に出てきたのが清家君の案.水道管とかに使われている塩ビパイプなら安いから,あれにゴム栓をして中に樹脂を入れればいい.そのパイプの中に,硬化剤の入った風船を入れて,ゴム栓越しに針を押し込み,風船を割り,あとはどうにか混ぜる(オイッ!)という案.
ここで野牧君から,風船の代わりにゴム栓に穴を開けてそこに硬化剤入りの注射器を入れるのはどうだろうか?との妙案.針が風船を避けてしまう可能性を排除できる.しかしここで野牧君から一言「やっぱゴム栓はだめだ」と.
私の心の声『なんでだよー.せっかくいい案なのに.ゴム栓なんでだめなの??』
深海では当然のことながら水深分だけの水圧がかかります.ゴム栓をした樹脂入りパイプ(中身は陸上の1気圧)を深海に降ろしていくと,どんどんとゴム栓に圧力がかかるわけです.1000mなら100気圧です.とんでもない圧力です.こうなってしまっては幾らハイパードルフィンの腕力が強いといってもゴム栓が抜けなくなります(ナイス気づき,野牧君).
ということでゴム栓案は却下です.でも,パイプ方式にこだわります.強引にビニールテープでぐるぐる巻きにしてフタをつくればいい.フタをあけるにはハイパードルフィンにナイフを持たせて(なんて危険な!),グサグサとビニテを切り刻めばいいだろうと.しかし,よくよく考えてみると,いったん樹脂がパイプなどにつくと,ヌルヌルしてしまい,ビニテとかの粘着力がなくなるのです.樹脂を攪拌するときはハイパーが腕を振るので,その際にスポッと抜けてしまいかねません.やはりゴム栓が望ましい気がします.
「あ.空気穴をゴム栓にあければいいのでは?」と清家君.「えー,でも漏れちゃうんじゃないの?」と私.
「いや,使う樹脂は海水よりも重たいので逆さまにしなければ漏れてきませんよ」とのこと.ふむ.確かに空気穴があれば,ゴム栓に外からかかる圧力も100気圧になるけど,空気穴を通じてパイプの中も100気圧になり,見かけ上の圧力差はなくなる.するとゴム栓は簡単に抜けるはずだ.ナイス清家君!
ということで,パイプにゴム栓でフタをして,そのフタに穴を開けて硬化剤をいれた注射器を入れるという原案ができました.
「あれ?どうやって混ぜるんだっけ??」
・・・・
そうでした.攪拌のことを忘れました(我々はいつも肝心なものを忘れる).樹脂と硬化剤をどのようにかき混ぜるか.単に樹脂に硬化剤をいれて振るだけで果たしてきちんと混ざるだろうか??混ざりませんね.きっと.
野牧君が妙案.「鉄球を入れるのはどうだろう?」.そこで私「でも,その樹脂を流し込むときに,その鉄球も一緒に海底に落ちるよね?巣穴グチャグチャじゃね?型どりする巣穴壊してどーすんの?」.
一同考え込む.
清家君「ではその鉄球を上のフタに糸でくくりつけておくのはどうでしょう?下のフタを外しても上のフタにぶら下がって落ちてきません.そういうオモリ,釣具屋に売ってますよ!」(ナイス清家!)
ということで,我々に頭にはアナガッチンガー(そのときはまだ名前がなかった)のプロトタイプができあがった.早速,清家君が試作活動に入りました.
(つづく)
4.恐怖の航海打ち合わせ
さて,試作機作製モードになって奮闘してくれていた(と思う)清家君の努力も虚しく,あっという間に船長をはじめとした船の運航の方々とハイパードルフィンを操るハイパードルフィンチームとの航海打ち合わせの日が訪れてしまいました.2010年8月終わり頃です.
その数日前の私と清家君の電話の内容です.
私「どうしよう.間に合わないよね?」
清家君「ま・・・間に合いませんね」
私「とりあえず,ごまかすしかない.重要なことは研究のイメージを伝えることなんだ(たぶん).作業の手順というかそういうのをうまく伝えよう」
清家君「そうですね.とりあえず作業手順のイメージ図をつくって配りましょうか」
私「いいね~~!なんかこっちも考えているってアピールできるね!(なんとみみっちぃ.しかしすごいポジティブシンキング.これが私の特徴)」
清家君「じゃ,ついでにすぐにできそうな枠とか,あと浅海で取った巣穴の型を持って行きましょうか?」
私「それいい!!そう,研究ってのはさ,イメージなんだよね.どういうゴールを我々が描いているか,それが船とチームの方々に伝わればしめたもんだよ」
ということで航海打ち合わせです.航海打ち合わせは「ハイパードルフィン」の母船「なつしま」のサイエンスルーム(研究室)です.すごいですよね.会議を船でやるんですよ.最初はびっくりしました.案内をもらったときに,「場所:「なつしま」サイエンスルーム」って書いてあって,はて?どこだろう?と思いました.もしかして船長はお休みの日以外は接岸していても陸に上がってはいけないとかのルールがあるんでしょうか.とにかく船での会議です.
朝,清家君とJAMSTECで待ち合わせです.
「どう?枠できた?」と私が聞くと,清家君は苦い顔をしながら「とりあえず板を持ってきたんで,ガムテープでくっつけます」と・・・.
「え?ガムテープ??大丈夫かな?汚くない?」との私の心配をよそに清家君は「まあ,なんとかなりますよ」といういつもの口癖.まあ,出だしの遅い私が悪いのです.諦めることにします.
「なつしま」船内の研究室(サイエンスルーム).この写真はアナガッチンガー航海のときのもの.佐藤圭撮影.
船内の研究室.狭い部屋に次から次へと人が入ってきます.今回の航海は,前半(Leg1)と後半(Leg2)に別れていて,いくつもの研究課題が相乗りで一つの航海になっています.そのため,研究者の数も多いのです.船の人もたくさんいて,せまい研究室がすし詰め状態です.熱気が立ちこめてきます.
いよいよ会議開始です.最初はスケジュールや荷積みなどの事務的な話があり,その後,研究者からの研究内容のプレゼンです.さまざまな研究者が,いろいろな機械を使ったり,実験装置を沈めたりする予定です.驚くべき事に(本当は当然のことなのですが),皆,試作機をつくってきています!私の体から汗がとめどなく流れていきます.熱気のせいではありません.完全に冷や汗です.我々はまだ試作機がなく,今日あるのは枠と浅海で採取した巣穴だけです.その枠ですら,ただのプラスチックの板をガムテープで貼り合わせたものです.深海での実現可能性と具体的な手順について述べなくてはならないのに,まだ何もないのです.
私は清家君とアイコンタクトを取りました(取ったつもりでいました). 私のアイコンタクト『まずいよ,清家君.みんなちゃんと作ってきている.あの枠を出したら返って悪印象だ.出すのはやめよう』
清家君からのアイコンタクト『そうですね,ロバートさん.ここはおとなしくしておきましょう.』
どうやらこのアイコンタクト,見事に失敗していたらしいです.何しろ私がプレゼンする番になったら清家君がゴソゴソとかばんの中から枠を取りだし,机の上に置いたのですから!!
とにかく,私は,「メタン湧水の海底下を見る」という研究課題の目的と,巣穴型どり以外の作業手順を説明しました.それで肝心の巣穴型どりについては清家君に丸投げです(あー,腹黒い,私).
「巣穴型どりについては共同研究者の清家からご説明申し上げます」
突然の振りに驚く清家君.「え?あー,えーとですね,まずは皆さんに巣穴型どりの作業手順をまとめた図をお配りします」清家君が徹夜で作製した作業手順のイメージ図を配る.このイメージ図はなかなかできていて,ハイパードルフィンのチームの方々も真剣なまなざしを書類に落として・・・
バタン!!
なんということでしょうか!!ガムテープでくっつけた枠のプラ板の一枚が外れて倒れたのです!
「おっと!」清家君が明らかに動揺し始めます.そして参加者のやや呆然とした目線を私と清家君が浴びることになりました.
みんなの心の声が痛いほど聞こえてきます.
『ほんとに,この研究,できるんでしょうね?』
ああ痛い.なんとかしなくては.ここで私は必死のアイコンタクトを試みます. 『清家!いまだ,浅海の巣穴を投入するんだ!!』
アイコンタクト,通じました!
清家君がゴソゴソと浅海で型どりした巣穴を出します.立派なアナジャコの巣穴です.参加者からどよめきが起き,皆の目の色が変わりました.
「え?こんなにでかいの?」「これはどうやって掘り出したんですか?」「作り主は?」などなど,一斉に質問攻撃です.
船,ハイパーチームの方々が完全に食いついてきましたっ!!!やはり,海の研究に携わる人々です.好奇心は人一倍です.
すっかり注目は浅海の巣穴です.うまく,我々への目線をそらすことができました.ナイス,清家君!
すかさず,私が清家君の手柄をかっさらいます.
「深海の海底下という未知なる領域で,こういうのを取りたいのです.新しい生態系像を描きましょう!」
決まりました.いいセリフが言えました.これで万全の逃げ切り体制です.私の今日の出番は終わりです.
早合点でした・・・.
ハイパーチームのトップ,大野運航長が口を開きました.
「それで,実際の機械はどういったもんでしょう」
・・・・
さすが運航長ですね.ごまかしはききません.
「はい.えーと,もっぱら清家君が試作機を製作しており,近日中に完成予定です(心の翻訳:まだ完成の目処は立ってないけど,こう言うしかないじゃないか)」
大野運航長は手強いです.「その試作機を早く見たいのですが,いつごろできそうですか?」
はい.完敗です.ごめんなさい.「ええ,あと数日です」.横で清家君が『え?数日?』という顔をしていますが,見なかったことにします.
ということで無事に(!?)会議が終わりました.
会議後,大野運航長やマリンワーク,日本海洋事業の方々とお話ししました.枠についてですが,四角である必要がなければ枠はちょっと径の大きい(直径15cmとか)パイプを使えばいいのでは?四角というのは強度的に弱いですよ.という指摘をうけた.素晴らしい指摘.枠は丸くする案,採用です!
次は満を持してのアナガッチンガー試作機1号機の誕生です!!
(つづく)
5.アナガッチンガー試作機1号
無事に逃げ切った(と思っている)航海打ち合わせが終わった後,清家君が"深海の腹黒ドラえもん"こと野牧君(JAMSTEC)を訪ねました.
アナガッチンガーの本体のパイプ部分の加工は清家君単独でもできるのですが,パイプにフタをするゴム栓の加工が難しく,野牧君を頼ったのです.フタ部分には,硬化剤を入れた注射器を差し込むための穴を開けなければなりません.注射器との隙間ができないように,注射器の外径に合わせた穴を開ける必要があります.まん丸の穴を開けるのは技術がいります.
どうやら,深海のドラえもんの力を借りた清家君はアナガッチンガーの試作機を完成させたようです(腹黒の私は清家君を置いて大学に戻ったのでここでの作業過程を知りません.何かエピソードがあるらしいのでそのうち野牧君が寄稿してくれることでしょう).
さて,そんなかんやで数日して清家君からアナガッチンガー試作機ができたとの連絡が入りました.待ち望んだアナガッチンガーといよいよ対面できるのです.どんなすごい機械ができたのか.見ないうちから大興奮でした.
早速,清家君が試作機を私の研究室に持ってきてくれました.
私「ん?これ,なに?」
清家君「え??試作機ですけど??」
なんか,透明なパイプに白いゴム栓がしてあります.よく見ると,確かに我々がアナガッチンガー考案会議で話したものに似ていなくもありません.しかし,なんだかちゃちい感満載でした.
ちゃちい感を説明する前に,このアナガッチンガーの素材をご説明しておきましょう.樹脂を扱う場合,素材選びを慎重にする必要があります.実は,我々が使う予定の樹脂は,塩ビなどを溶かしてしまうことがわかりました.
これには慌てました.何も考えずにぶっつけ本番だったらと思うとぞっとします.
容器に樹脂をセットしたそばから樹脂がパイプを溶かして,樹脂は船の甲板にダダ漏れですよ.
そんなことになったら掃除が大変です.
そんなことになったら巣穴の型どりどころではありません.
結局,パイプの素材は樹脂に強いポリカーボネート製になりました.
問題はフタです.当初は普通のゴム栓を使う予定でしたが,このゴムも樹脂が溶かしてしまうことが判明しました.結果,フタはシリコンゴムになりました.実はこれがこのアナガッチンガーでもっともコストのかかった部分になりました.
ポリカーボネートパイプは野牧君が他の研究で使っていたものを融通してくれました.シリコンゴムは清家君の自腹です.シリコンゴムだけで数万円.なかなか痛い出費です.
さて,それではアナガッチンガー試作機を見てみましょう.
外見は,直径約8cm,長さ20cmくらいの透明なパイプに,その上下に白いゴム栓がしてあります.一方のゴム栓には注射器が刺さっています.確かに,考案会議で話した通りの形状です.
どこがちゃちく見えるのか.
よく見ると,注射器を押し込む棒の途中に切り込みがあり,そこにものすごく薄いプラ板が挟まっています.思い出しました.考案会議で,何かの拍子に注射器が押し込まれないように,注射器の中身を押しだす棒にストッパーをつけておこうと決まったのです.そのストッパーの役目と思われるプラ板が注射器の棒に刺さっているのです.しかもものすごく薄い(厚さ1mmくらい?)のです.
プラ板です.
そう,プラ板です.
何かが頭をよぎります.
プラ板.プラ板.プラ板・・・・.プラ板に私の心が動揺します.
なぜか,私の脳裏には「プラ板」が焼き付いています.
そうです.あの「恐怖の航海打ち合わせ」で,船やハイパードルフィンのチームに今回の我々のプロジェクトを説明する際に倒れたもの.あれもプラ板でした.
どうやらあの一件以来,私はプラ板恐怖症に陥ってしまったらしいです.
しかも,このストッパーに使われているプラ板の薄いこと薄いこと.さらには,そのプラ板を留めているネジの緩んでいること緩んでいること.
私の脳内緊急ランプがけたたましいアラーム音とともにクルクルと廻っています.
「これはまずいんでないかい?なんかさ,ちょっとどこかにあたったら即座に外れちゃいそうだよ.せめてさ,プラ板を厚さ5mmくらいにはしようよ」
清家君は私の脳内緊急ランプのけたたましいアラーム音が聞こえないのか,のらりくらりと私の危惧に耳をかしません.
「これで大丈夫じゃないですかね?」
清家君の口癖です.
そうこうしているうちに,私のボスがやってきました.間嶋教授です.古生物学会の会長(2012年現在)です.
間嶋教授「お.何してるんだね?」
私「いや,実は今度の航海で,深海で巣穴の型どりをするんで新兵器を作っているんです.これがあれば,深海で潜水艇で樹脂をまぜまぜできるんですよ」
間嶋教授「これがその新兵器?」
間嶋教授が突然笑い始めます.
ギャハハハハハ!
「これは絶対失敗するよ.こんな機械でできるわけないじゃないか!!賭けてもいい.絶対失敗する!」
カチーーーーーン
私のスイッチが入りました.さっきまでは,清家君の試作機に文句をつけていた私がクルッと180度立場を翻し,一気に清家君の側になりました.
「これは絶対に成功します!我々の技術とアイデアの粋が詰まっているのです!(ほとんど清家君のだけど)」
「清家君,すぐにハイパーチームに見せに行こう.改善点を話し合いに行こう!」
私は速やかにハイパーチームにアポを取り,再び私と清家君の凸凹コンビでJAMSTECに乗り込みました.
(つづく)
6.試作機の検分
いよいよアナガッチンガー試作機をハイパードルフィンのチームに見せに行くことになりました.
横須賀にあるJAMSTEC本部で朝10時にハイパーチームと待ち合わせです.清家君とは9時50分にJAMSTECで待ち合わせしていました.
9時55分.車でJAMSTECに滑り込みました.遅刻ギリギリです.
さて,清家君はどこか.すでにハイパーチームの居城「かいこう整備場」にいるのでしょうか.
私は車を本部棟の前に停め,「かいこう整備場」へと早足に歩きます.
9時58分.JAMSTECの敷地の中ではもっとも奥まった場所にある「かいこう整備場」がようやく見えてきました.大きなシャッターが降りています.
清家君はどこにもいません.少々心配になって電話してみました.
清家君「すみません.遅刻しそうです」
私のに心のつっこみ『いや,すでに遅刻だよ!しかも清家君,君は整備場の場所を知らないのでは?』
まさかここで清家君が遅刻するとは思いませんでした.私も遅刻しましたが,世の中,上には上がいるものです.
仕方がありません.とりあえず一人で乗り込み,時間稼ぎをすることにします.当然アナガッチンガー試作機は清家君が持っていますので私は手ぶらです・・・・.
「かいこう整備場」のシャッターの脇の小扉をあけ,中に入ります.これまでも何度か中に入ったことがありますが,何となくいつも緊張してしまいます.若干暗い整備場の中は,かなり広い空間になっています.この空間で「かいこう7000II」や「ハイパードルフィン」を整備するのです.
私が整備場に入ると,すでに今回の航海の各種調整をしてくださっている佐々木さん(元しんかい6500パイロット)がおりました.
「おはようございます」
「どうです?巣穴型どり装置はできましたか?」
そう,このときはまだ名前がなく,巣穴型どり装置と呼ばれていたのです.
「はい.とりあえずできました.今日はいろいろご意見をいただきたいと思います.」
「では大野運航長を呼んできますね.」
おっとっとっと.まだ清家君もいないし,現物もないのです.世間話をしようかと思いましたが,話すことがありません.
「実は清家君が道に迷ってしまって.近くにはいるらしいのですが(本当はタダの遅刻ですが)」
と,そうこうしている内に清家君から電話がありました.10時5分頃です.意外と(!?)早い到着です.整備場の外に出て,清家君を探しに行きます.一番奥と伝えましたが,ああ,反対側の倉庫群に歩いていく清家君が見えます.電話して反対側であることを伝えると,ようやく清家君の到着です.
すぐに再び整備場の中に入ります.
佐々木さんがハイパーチームを呼びに行きます.
さて,一呼吸置こうとそばにあった長机に荷物を降ろすと,なんとびっくり,そこには「しんかい6500」チームの元司令の今井さんと「かいこう7000II」チームの元運航長の平田さんがいるではありませんか,
今井さんには私がまだ学生(修士)だったときに2度の日本海溝航海でお世話になりました.もう10年近く前のことです.平田さんには2010年初頭のベヨネース海丘(熱水域)航海でお世話になったばかりでした.
どちらも私のことを覚えてくださっていて,巣穴型どり装置をつくっているところだと説明すると,お二人が食いついてきました.
この前の航海打ち合わせでも感じましたが,JAMSTECの船の運航に関わる方々は,新しいサイエンスや技術に対する好奇心が人一倍強いです.機器開発や潜航を研究者と一緒に成し遂げ,研究者の生の驚嘆の声やアイデアを間近で見聞きし続けてきたわけです.これほど刺激的なことはないでしょう.言ってみれば,研究者以上に,深海研究の最前線に立ち続けてきた方々なのですから.
私と清家君が,アナガッチンガー試作機の仕組みについて説明します.
平田元運航長から「ほぉー.変なことを思いつくもんですなー」と,褒められ(?)ました.「しかし,これだと「かいこう」での取り回しが難しいですな」
今井指令が「ここんとこに,取っ手をこうやってつければ6Kならそのまま使えますよ」
お二人とも,自分が操ってきた愛機で使うにはどうしたらいいかと考えています.さすがです.
でもね,我々の頭の中は,ハイパーで操れるかどうかでいっぱいなのです.もうとんでもなく日程がギリギリなんですから!
我々の当初のアイデアにあった「硬化剤は風船に入れて仕込んだらいいですよ」という発言も飛び出しました.我々が辿ってきたアイデアもあながち間違いではなかったようです.
また,「この注射器の棒をそのまま押すのは難しいから,何かもう少し表面積の大きなものをつけておいたらどうでしょうか」(この指摘はのちのち本当に役に立った)など,いろいろなアイデアをいただきました.
そうこうしているうちに,大野運航長がやってきました.
潜航チームのトップ3人に囲まれて私は冷や汗ものです.
しばらく大野運航長がアナガッチンガーを観察しています.
ときどき目がつり上がったりしています.
こちらはOKサインが出るか,根本的なだめ出しを喰らうか,ドキドキです.
大野運航長が口を開きました.
「これ,薄いですね」
あああ!!例のストッパー部分です.
そうですよね,そうですよね,そうですよね.薄いですよね.私もこの前から気になっていたんですよ.このストッパーは薄すぎですよね.
という心の声を押し殺し「ええ.今回は試作機ということで,薄めにしたんです(訳わからないですね,このいいわけ).5mmくらいがいいでしょうか」と逆に質問をします.
どうやら5mmくらいあれば良さそうだということになりました.ハイパードルフィンが持ちやすいように取っ手や浮き付きの紐を何カ所かにつけることになりました.取っ手の部品を持ってきてくれればハイパーチームで取り付けしますとのこと.
アナガッチンガーの試作機,合格です!(ストッパー部分を除いて)
すばらしい!やったぜ清家君!!
そして,気になっていたことを質問してみます.
「実際,樹脂に硬化剤を注入したあと,どうやって撹拌したらよいでしょうか.上のフタから糸を垂らして錘をつけていますが,ハイパーの腕で,この容器をどれくらい振れるのでしょうか」
大野運航長はこともなげに「ああ,ハイパーの手首をクルクル回しますから問題ないですよ」と言った.
なんと,ハイパードルフィンの手首は無限回転できるとの新情報.これは驚きました.撹拌問題一気に解決です.
ちなみに,私の頭にはなぜかキン肉マンに出てくるウォーズマンのスクリュードライバーが浮かび上がりました.アナガッチンガーを装備したハイパードルフィンが本体もろともクルクル回転し,海底をえぐっていく,そんな妄想が頭から離れなくなってしまいました.
ということで,アナガッチンガーの試作機ほぼ完成です.あとは今日指摘された点を(清家君が)改善し,量産タイプを(清家君が)4機製造すればOKとなりました.ちょろいもんです(人ごと).
これを(たぶん)朝飯前に清家君が実施し,4機のアナガッチンガー量産タイプが完成しました.
航海を約1週間後に控えた10月13日.アナガッチンガー量産型4機をハイパーチームに引き渡しました.あとはハイパーチームが取っ手や浮きつきの紐を取り付けてくれるので,航海を待つのみです.
(つづく)
7.スケジュールが短縮された!
時間が前後しますが,2010年8月初頭,私は航海のスケジュールを見てほくそ笑んでいました.
航海は,2010年10月21日から31日の予定で24日を挟んで前半と後半にわかれています.24日にJAMSTECで研究者の入れ替えを行います.私は前半から乗りますが,アナガッチンガーは後半の航海で実施予定でした.その後半の航海の予定は以下の通りでした.
10月24日 JAMSTECで研究者入れ替え.現場海域へ向かう(回航と言います)
10月25日 潜航調査1日目 他の研究者の日
10月26日 潜航調査2日目 私の調査日
10月27日 潜航調査3日目 他の研究者の日
10月28日 潜航調査4日目 私の調査日
10月29日 回航
10月30日 フリーフォール
10月31日 JAMSTECへ帰港
潜航調査の予定日から帰港まで2日間あります.
現場はそれほど遠くないので,帰港には半日もあれば十分でしょう.フリーフォールとは,ハイパードルフィンをつなぐケーブルのねじれを取るための作業です.ハイパードルフィンを運用している過程で,ケーブルが少しずつよじれてきてしまいます.そこで,ハイパードルフィンをケーブルから外して,かわりに錘をつけて,水深3000mくらいまでまっすぐにケーブルを降ろしながら伸ばし,ねじれを取るのです.
しかし,このフリーフォールは1日もかからないと聞いたことがあります(実際の事は知りませんでしたが).最悪,夜にやればいいでしょうと勝手に思い込んでいます.
つまり,10月29日と30日は実質的な予備日ですよ,これは.これが私がほくそ笑んでいた理由です.
上の日程では潜航調査が4日間組まれていますが,私が使うことができるのは2日間だけで,残りの2日間は別の乗り合い研究者が使う予定なのです.アナガッチンガーの実施には最低でも2日間必要です.1回目の潜航で樹脂を混ぜて巣穴に注入する.2日後に硬化した樹脂を回収する.
仮に,日程がギリギリで組まれていた場合,海が荒れて潜航が中止になったら,そのまま中止です.でも,予備日があれば2日間中止になっても,まだ予定の潜航をこなせるのです. 我々は相当ラッキーです.
と思っていたんですよ.
そう,思っていたんです.
ところが,です.
2010年8月1日.あることが起きました.現在(2012年2月現在),愛知県沖でメタンハイドレートの世界初の海洋産出試験をやっている「ちきゅう」という日本の威信をかけた海洋掘削船がパイプを落っことしたのです.
黒潮の流れが予想以上に速くなり,退避行動をしている最中に船体から下に伸びていたケーシングパイプという掘削につかうパイプを落としてしまったのです(詳しくは当時のJAMSTECのプレスリリースをお読みください.
このニュースのことは知っていましたが,人ごとでした.『ありゃー,結構高いだろうに大変だなー』程度に思っていたのです.
ところが,絡んできたんです.この事件が.
8月中旬頃でしょうか,JAMSTECの運航部から一本の電話がかかってきました.
「ジェンキンズさん,実はハイパードルフィンが,「ちきゅう」が落としたパイプの状況検分に行くことに決まりまして,日程が変更になります.」
は??え???日程変更??まさか航海期間短縮って事はないですよね??? そのまさかです.
新しい日程を見てびっくりしました.新しい日程の終了日が10月31日から29日に2日間も短縮になっているのです!!!!
余裕は2日あると書きましたが,その余裕がごっそり削られてしまいました.しかもフリーフォールの予定はそのままです!もうギッチギチのギッチギチの予定です.
参りました.しかし,どうしようもありません.潜航が削られなかっただけでも感謝しなくてはなりません.
もう一点,新しいスケジュールに変更が加えられていました.最後の帰港地がJAMSTECから清水港に変更になっていました.
清水港.そう,静岡県の清水港です.
ハタと気がつきました.
今回の航海には横浜国大の学生を8人乗せる予定でした.内訳は,学部3年生3人,修士1年2名,修士2年2名,博士1年1名です.ほぼ全員がはじめての研究航海という,ずぶのずぶずぶの素人集団です.なにしろ,私の所属研究室は古生物学を専門とする研究室ですから,船や(現在の)海とは縁遠いのですから.
そもそも,私のような現在の海洋を専門に研究していない門外漢が航海を取ることなど,滅多にないはずです.その少ないチャンスに,少しでも多くの学生に深海を見せたい,研究航海の楽しさをわかって欲しい,そう思って研究室のメンバーに参加を呼びかけたのです.
それで集まった学生が8人.この8人に私は「交通費ぐらいは出すよ」と言っていました.JAMSTECのある追浜から横浜駅までの交通費は往復600円.バス代を入れても往復約1000円です.8人でも1万円弱です.これくらいなら私のお小遣いから捻出できます.
ところが,清水港です.清水から横浜となると倍以上です. 一瞬,妻の怒鳴り声がした気がしました.
ということで,学生には交通費を出せないと伝えるしかありません.貧乏な研究者でごめんなさい.
結局,清水港からの自腹であることを伝えても学生8名のモチベーションは下がることなく,参加の決意はかわりません.心強い限りです.
そうこうしているうちにようやく航海の日がやってきました.
私は自分の研究とは直接は関係なかったのですが,前半の航海から乗ることにしました.前半の航海はアナガッチンガー論文の紅一点,渡部さんの研究のための航海でした.半分勉強のために前半から乗り込んだのですが,これが後で功を奏します.
つづく
8.いざ,航海1 潜航調査日本代表チーム
10月21日 出航 JAMSTEC
いよいよ航海です.船に弱い私は,アネロンという強力な酔い止め薬を大量購入し,船に乗り込む前から薬漬けになっておきます.
岸壁には見送りの人々がたくさんいます.お.アナガッチンガーを共に考案した野牧君も来ています.野牧君は,このあと,私がうっかり漏らしたあることについて,とある偉い方から「怒りのメール」を受け取るのですが(笑),このときはそんなことを知らずにニコニコしています.アナガッチンガーとは関係ないのでこのことは触れないでおきます
.さて,船は前半航海の調査地点である初島沖へと航海を続けていきます.朝10時の出航で午後には到着の予定です.
前半は私の出番はないので船の中をうろちょろ歩き回ります.たまにハイパードルフィンチームの作業を見るために甲板に行きます.
あれ???
ハイパーチームのメンツがずいぶん違います.
「かいこう」チームのテクニシャン,瀧下さんがいます.2010年初頭の「かいれい」航海で,「かいこう7000II」の照明の向きを私仕様に変更するときにずいぶんとお世話になったのです.しかも瀧下さんのアイデアで,ほどよい間接照明をセットしてくれて,めちゃくちゃきれいに海底が見えるようになったのです.
あ!
近藤さんもいます.近藤さんは「かいこう」の名マニュピレータ使いです.その「かいれい」航海のときに,私が「あれ取って!」「これも!あの岩の後ろの生き物も!!」なんていう無茶な要求をなんなくこなしていただいたマニピュレータ使いなのです.
そのときの夜の飲み会では,「いちいち止まってから生物を採集してたんじゃ時間がもったいないっすよ.動きながら取りましょうよ!ジェンキンズさんがヒットアンドアウェイでって叫んだらやりますよ」という心強い発言も飛び出したほどの腕前です.
おおおおお!
なんとなんと,「しんかい6500」の 司令(一番偉い人)の櫻井さんもいるじゃないですか!櫻井さんは元しんかい6500の名パイロットです.そして今は「しんかい6500」チームを束ねる人です.いったいなぜハイパードルフィンチームにいるのでしょうか.
聞くと,今回は技術交流という名目で混成チームが編成されているとのこと.
すごいことです.はっきりいってすごいメンバーですよ.アナガッチンガーのために集められたとしか思えないメンツです.もう『潜水調査チーム 日本代表』と言っても過言ではありません.
アナガッチンガーのすごさを敏感に感じ取ったJAMSTEC上層部の差配によって,わざわざ編成されたチームだと,私は妄想しています.それはさておき,これだけのメンバーが集ったのですからもはやアナガッチンガーが成功すること間違いなしです!
9.いざ,航海2 箱がない!
いろいろとお手伝いをするもさして出番のない私は,いつものように甲板などをうろちょろしていました.
お.大野運航長と瀧下さんがなにやらアナガッチンガーに細工をしています.
渡してあった取っ手もついて,とってもいい感じです.
しかも,4機のアナガッチンガーが色で識別できるように,各色のビニールテープで取っ手部分がグルグル巻きにされています.かっこいいです.
大野運航長から質問が飛んできました.
「ジェンキンズさん,枠や小物を入れておく箱は用意してくださいましたか?」
「え??」
なんのことでしょうか.
あ.
そういえば,なんか箱を用意しておいてくださいと言われた気がしますね.思い出しました.そうです.確かに言われました.
でも,完全に忘れていました.
私が持っている箱といえば,研究機材を入れた俗に言う「青コン」しかありません.
「は・・・・はい.持ってきました!青コン持ってきましたよ.あれでいいですよね???」と苦し紛れの返答をします.
しかし「いや,あれでは大きいのでもっと小さいのをお願いしたはずですが」とのカウンターパンチ.
「そ・・・そうでしたよね.ええ.そうですね.小さいのは後半組が持ってきてくれます」
私は急いでサイエンスルームに駆け込み,持ち込んでいたノートPCに座ります.清家君に緊急打電です.
「至急,枠を入れる小さめの箱を購入すべし」
10月21日 16時のメールです.
海洋調査船「なつしま」からはメールも出せます.しかし,送受信は1時間に1回なので,返事をもらうのに1時間以上かかります.しかも夜22時から明朝6時まではメールの送受信ができません.
夜21時,清家君から英語で返事が来ました.
何を気取って英語で書いてるんだと憤慨しそうになりましたが本文を見て納得.
『ただいま,学会のために韓国にいます.乗船前日の23日に日本に帰るので箱は買えません.誰か他の人に頼んでください』
がびーーーん!!
やばいですね.早速,横国の学生に緊急打電です.本日の最終メール送信時刻まであとわずかです.一応22時前にPCからは送信しましたが,船のサーバーから陸に送られたのかどうかはわかりません.
翌日(10月22日)になっても横国の学生から返事がありません.
なにやら心配になりました.まあ,いざとなれば「深海の腹黒ドラえもん」野牧君に頼もうと思っていましたが・・・.
翌10月23日.短かかった前半航海の最後の潜航調査日です.
昼頃にようやく「箱ゲットです!!」と横国の学生から連絡がありました.
安心しました.
これでアナガッチンガーA(枠)を持っていけます.
この日も無事に潜航調査が終了し,初島沖からJAMSTECを目指して回航します.
さあ,いよいよアナガッチンガーを実施する後半の航海に移ります.
(つづく)
10.いざ,航海3 後半組乗船! 目的地変更!!
10月24日 前半の航海が終了し,JAMSTECの岸壁に着岸しました.
横国の学生達は・・・いました!
はっきり言って心配でした.そももそもJAMSTECにも来たことがなく,船にも乗ったことがない学生ばかりでしたから,誰も来ないのではないかと心配していました.きちんと上級生達がまとめてくれていたようです.
そして,昨日まで海外に行っていた清家君もいます.さて,メンツは揃いました.
10時.出航です.
汽笛を鳴らし,いざ,沖へと向かいます.
出航後,早速,船長をはじめとした船側の方々とのミーティングです.
そこで思いもかけないことが知らされました.
「海況(かいきょう:海の様子のこと)が悪く,相模湾を出られないかもしれない」
え??
相模湾を出られない???
なんてことでしょうか.実は,私の航海提案に相模湾は入っていませんでした.有名な初島沖は相模湾にありますが,当然,初島沖も調査地点に組み込まれていません.
私の希望調査地点は南海トラフの東端,御前崎の南西沖でした.もし,相模湾から外に出られないとなると,私の潜航調査は中止です.
ここまで準備をして,まさか潜航調査中止??
脳天をたたかれた感じがします.
そのときは仕方がありません.行けるところで,たとえば相模湾の初島沖で潜れば良いと勝手に思っていました.
甘かったです.極めて甘い考えです!!!
「ジェンキンズさんの提案には相模湾が入っていないですね.ということは,相模湾で調査を実施するのはルール上,無理ではないでしょうか」
との指摘が飛んできました.
そう,潜水艇が調査する場所は,あらかじめ申請しないといけないのです.とくに漁協などとの調整を行う必要があるので,突然の海域変更はほぼ不可能なのです.
なんてこったい.ドラム缶で頭を殴られた気分です.
なんとかせねばなりません.本当に海況がわるくて,相模湾から一歩も外に出られなければ,調査ができません.例え出られたとしても,結局は海況が悪くて潜航中止になってしまってはどうしようもありません.
早速,首席研究員である横引さん(JAMSTEC)に相談しました.航海経験が豊富な渡部さんも話に加わってくれます.3人で航海の「実施要領書」に目を凝らします.
確かに私の元々の研究課題提案では相模湾を調査海域に設定することは書いていないのですが,航海の計画書である「実施要領書」には,私の調査範囲(南海トラフ)と横引さんんの調査範囲である初島沖が書かれているだけで,どっちの調査をどっちで行うとは書いていません.
そして横引さんが一言「うん.ジェンキンズさん,あなたの提案書のタイトル,いいタイトルをつけましたね!」
私の研究課題のタイトルは「メタン湧水縁辺域を包含したメタン・硫化水素濃度勾配に対する生物群集の組成変化」です.
どこがいいタイトルなのでしょうか.今思えば,なんとわかりにくいタイトルだと自己嫌悪に陥ります.
「このタイトルには海域名が入っていません.これは素晴らしい.普通なら海域名を入れるのですが,さすがですね」とのことです.何のことはない.単に私が海域名を入れ忘れただけですが,これが功を奏したようです.
そう.海域名を入れていないから,実施要領書に書かれている調査範囲であればどこで潜航調査を実施しても良いだろうとの予測です.幸いなことに,この航海では横引さんが初島沖を調査範囲に入れていたので,初島沖で調査潜航できるだろうとの希望的観測が生まれました.
早速,首席研究員である横引さんからJAMSTEC本部の運航部にこの解釈で良いのか緊急質問が行われました.
どのような返事が返ってくるか,ドキドキしました.
数時間後,運航部から返事がありました.
「初島沖でのジェンキンズ課題の潜航調査,問題なし」との回答!
良かった!!
危ないところでした.危なく船に乗っているだけの1週間になるとことでした.
(つづく)
11.潜航調査1日目 -1- 脱線
10月25日 潜航調査の1日目がはじまりました.今日の潜航は,今回の航海の首席研究員である横引さんの調査日です.私の出番はないでしょう.
出番がないと思ったので,とりあえず横道にそれます.少し,調査航海のシステムについて解説しておきます.
まず,船で一番偉いのは「船長」です.これは厳然たる事実です.その船長の下に船の乗組員がいます.航海士から甲板員,司厨員まで,船の運航に関わる人すべてが船長の指揮下です.
司厨員って知っていますか?ひらがなで書くと「しちゅういん」です.聞き慣れない単語ですよね.要はコックさんのことです.
私がはじめて航海に乗ったとき,船酔いが激しく,ご飯が食べれないとき,とある研究員の方が言いました.
「司厨員に言ってこい」と.
この人は私に,「ご飯のキャンセルを厨房に伝えてこい」という意味だったようなのですが,気持ちの悪かった私の頭で無理な漢字変換が行われました.
『シチューin 行ってこい!』
え?シチューにゲロ吐いてこいってこと?シチューはどこ??
などわけわかんなくなっているうちにもっと気持ち悪くなったことを覚えています.
これはさておき,船では聞きなれない単語が飛び交っています.今度「研究者のための船内用語」をまとめたいぐらいです.
それで,ハイパードルフィンなどの潜水艇の運用を行うチームと研究者チームは,最終的には運航上は船長の指揮下に入りますが,半ば独立した組織です.
「ハイパードルフィン」や「かいこう7000II」などのケーブルで操る無人潜水艇の場合,運航チームのトップは「運航長」です.一方,「しんかい6500」や退役した「しんかい2000」のような有人潜水艇チームのトップは「司令」になります.理由は知りません.
「司令」の方がかっこいいので全部「司令」にすればいいのに,と思っています.
それで,研究者チームは最初からメンバーが決まっているわけではありません.
それぞれの研究者が,JAMSTECへ研究課題の応募を行います.その応募が審査されて,採択されてはじめて潜航調査が実施できるのです.
そして,どこかの会議で,「この研究課題とこの研究課題は似たような場所に行くから同じ航海にしましょう」などの話し合いが行われているらしいです.
今回の場合では,相模湾初島沖で研究を行う横引さんの研究課題と御前崎沖で行う(予定だった)私の研究課題とが,一つの航海として設定されたのです.
それで,誰が決めているのかわかりませんが,課題提案メンバーの中から首席研究員が選ばれるのです.
首席研究員は,要はまとめ役です(たぶん).すべての研究課題がうまく行くようにいろいろと調整するのが役目のようです.また,報告書も書かねばならないので,その労力はなかなか大変なものです(たぶん).利点は,自分で判断でいろいろコントロールできるということでしょうか?私はまだ経験したことがないのでよくわかりません.
研究者側の乗船メンバーは,首席研究と各研究課題提案者との話し合いで決まります.乗船人数には上限がありますから,相乗り課題が多いと,乗船枠を巡って熾烈な争いが起きることがあります.
今回の航海では,私の研究課題に関連して,延原先生(静岡大学),アナガッチンガーチームの清家君と渡部さん,あとで少し書きますが「コロ助チーム」の小栗さん(JAMSTEC),そして横国の学生8名という,私を入れて計13名ぐらいが乗船希望者でした.
コロ助?気になりますか?
実はアナガッチンガー計画は私の妄想完成予想図の一角で,「アナガッチンガー計画」と「コロ助計画」と「海底ザクザク計画」の3つが合体して,メタン湧水生態系モデル図が完成する予定だったのです.
しかし,「コロ助」計画は涙の失敗物語があり,「海底ザクザク計画」はまだ中途半端で,まだまだ合体できていないのが現状です.
話を元に戻します.今回の航海の母船は「なつしま」という船で,研究者は16名くらいしか乗れません.そこに相乗り課題の一つで13名を押し込むことは不可能に近い数字です.
問題は,横引さんチームが何人乗せてくるか,です.
おそるおそる横引さんに乗船人数を聞いてみます.
なんと一人です!!.つまり,残りは私のものです!
これ幸いと,乗船希望者全員で「なつしま」に乗り込むことにまんまと成功したわけです.
横国の学生8名のうち,何人が研究者になるかわかりませんし,大部分は一般企業に就職するかもしれません.
しかし,一度でも海洋調査船の航海を経験した者は,絶対に海洋研究のファンになると思うのです.深海ファン,海洋調査ファンが増えることは,ひいては,海洋研究をサポートしてくれる一般の人々の支持につながるはずです!
そんな風に考えながら,無理を承知で学生をわんさか乗せたのですが,そのせいでサイエンスルームの狭いこと狭いこと.もっとひどかったのはハイパードルフィンをコントロールするコンテナ室です.
ハイパードルフィンをコントロールする司令室とも言うべき場所,それは船の外に取り付けられたコンテナの中です.
そう.貨物列車とかに搭載されるあれです.あのコンテナみたいなのが,「なつしま」の上に置いてあるのですが,そのコンテナの中がハイビジョンテレビが何台も置かれた司令室になっているのです.
このコンテナには,研究者用に5つ(6つだったかな?)の椅子があるのですが,そこにずーっと十数人がいたのです.足の踏み場なんてまったくありませんでした.チームの方はさぞかしやっかいだったでしょう.
話がだいぶそれました.しかもなんだかまじめな話になってしまいました(いや,実は全部まじめな話なんですけどね!!).航海に戻りましょう.
(つづく)
12.潜航調査1日目 -2- 深海底は穴だらけ!
さて,横引さんの潜航調査がはじまります.私のチームもほぼ全員コンテナ「潜水艇司令室」に乗り込みます.私は関係のない潜航調査のはずだったのですが,関係ないとは言っていられない状況になっていたのです.
何しろ,私の予定していた海域には行くことができないので,私は相模湾初島沖で潜航調査をすることになったのです.
そうです.私は初島沖に関する事前の勉強や下調べを(ほとんど)していないのです.もちろん,前半の航海ではずっと初島沖でしたし,後半のこの航海でも横引さんが初島沖に行くことは知っていたので,簡単には勉強していました.しかし,自分でその海域の調査をやると思っていなかったので,本気の下調べをまったくしていませんでした.
不覚です.
深く反省しました.
深海よりも深く,反省しました
.せっかくの調査航海に乗ったのにこの体たらく,すべてが自分の調査だと思って取り組まねばならなかったのです.そういう姿勢がなかった自分が情けないです.
とにかく,この横引さんの調査潜航で得られるものをすべて得て,翌日の私の潜航に活かすしかありません!
反省してみるものです.なんと,チャンスが巡ってきました.
私の出番のないと思っていた横引さんの調査中に,思いがけないチャンスが到来したのです.
横引さんの研究課題は,「海底ケーブルの水中修理工法の開発」というものすごく人類の役に立ちそうな研究です.
その調査潜航では,海底でいろいろと実験をします.その実験と実験の間に待ち時間があるというのです.聞けばその待ち時間の間に何もすることがないとのこと.
私の頭の中である変換式生まれました.
『何もすることがない時間 = 私が自由に使っていい時間』
図々しい私は,横引さんに聞いてみました.
「その実験の合間というのは,私の時間ってことですよね.私が利用させていただいてもいいのでしょうか.」
快諾です!!!!イヤッホーーーぃ!!!!ありがとうございます,横引さん!!
どうやら,実験の合間は複数回あるらしく,ハイパードルフィンがその場を動けない実験の合間と,動いてもいい合間があるらしいです.何でもいいです.動けようが動けまいが,私の時間となったらいくらでも研究できます!
動けないときはその場でじっくりと海底観察ができるということです.これはまたとないチャンスです.
ハイパードルフィンには4台(3台だったかな?)のビデオカメラがついていて,うち1台はハイビジョンカメラです.映像がすごいきれいなんです.美しいんです.このハイビジョンカメラを目一杯ズームして,海底や生き物を観察する.そんな機会はほとんどありません.
なぜなら,潜水調査では,「生物を採集する」とか「堆積物を採集する」とか,「機械を設置する」とか,何かをすることが決まっていることが普通で,ただ単に海底を観察するだけの時間というのはほとんどありません.海底観察に時間を割こうものなら,他の研究者の方からブーイングがくるでしょう.
しかし,今回は違います.
何しろ,「観察しかできない」のですから!この時間を有効に活用しない手はありません.
さて,実験の合間私の時間がやってきました.
そこは水深1000mの深海底です.
ふかふかのやや茶色がかったオリーブ色の泥が海底を一面覆っています.
その海底をハイビジョンカメラをズームしまくります.舐めるように観察します.
!
!!!!!!!!
穴です.
穴ですよ.穴.深海底に穴が空いています.ぽっかりと.直径1cmぐらいでしょうか(ハイビジョンカメラで見ていると,スケールがないので正確な大きさがさっぱりわかりません.※スケール用のレーザーがあるのですがなんだか背景と同化して良くわかりません)).
一つではありません.どこもかしこもです.
海底は穴だらけです!!!!
ここまでたくさん穴があるとは思いませんでした.アナガッチンガーをそこら中で試したい気分です.
実は,アナガッチンガー計画で一番心配だった点は,穴がない可能性があったことです(いまさら!).
これまでも論文に載っている写真から判断して,どうも深海底でも穴が多そうだなあ,と思っていました.また,前に潜水船チームの方々に聞いたときは「穴ですか.うん.なんかどこでも穴があったと思いますよ.」というようなことを言っていましたが,自分の目で確かめた訳ではなかったので,いささか自信が持てませんでした.
しかし,ここにはたくさんんの穴が空いています.しかも一見何もない,生物もいないように見える深海沙漠です.そこに穴が無数に空いているのです.
あーーーーーーーー!!!
あ,あ,,,穴からなんか出てきました!!!
あっ!ひっこんだ.
コンテナ「司令室」の中に皆の声がこだまします.
いまのは何だったのか.なんか白い何かでしたよ!そう,白い糸のような(今にして思えば朱野さんの「海に降る」という小説に出てくる「白い糸」を彷彿とさせます(調査当時は発売されていませんでしたが).いや,ほんと!).
穴の主は,自分の家の横に巨大な潜水艇が舞い降りていてさぞかしびっくりしたことでしょう.
そして今や家の中に引っ込んで一安心しているはずです.
ふふふふふ.いつもの調査なら君にかまっている暇はないけど,今日は違んだよ.
我々にはたっぷりと時間がある.君が出てくるまで,ここで待たせてもらうよ!
ということで,この穴の主が出てくるまでひたすら「待ち」です.
(つづく)
13.潜航調査1日目 -3- 白い奴を狙え!
海底の穴から出てきて,すぐに隠れた「白い奴」.その正体を見極めるべく,カメラでひたすら観察をつづけます.
お!
ほどなくして「白い奴」が再び顔を出しました.
おおおお!なんだかエビみらいな格好の,でも,殻がやわらかそうな生き物です.ちょろちょろと穴から顔を出します
(前章の振りで「白い糸」を想像した方,しょぼくてすみません.でもね,現実だからしょうがないんです!!!).
そしてまた引っ込みます.
おっと,そろそろ私の時間実験の合間の終了時間です.
ここで,この生き物と巣穴の採集を試みます.
本当はここでアナガッチンガーといきたいところですが,あいにく,アナガッチンガーの出番は明日ですので,今回は従来の方法です.
チャラチャラッチャチャーーン♪MBARI式プッシュコア登場!
プッシュコアというのは取っ手のついた円筒形(直径7cmか8cm)の筒のことです.MBARI(エムバリと読む)式というのは,モンテレー湾水族館の略です.要はモンテレー湾水族館(実はこの水族館は深海研究にめっぽう強い!)が作成したプッシュコアをパクって模しているもののことです.
このMBARI式プッシュコアを使うと,直径約7cm,深さ約20cmの海底堆積物を採取することができます.
実は,図々しい私はプッシュコアを持って行ってくれるように依頼していたのです.人の潜航調査だというのに!!気のいい横引さんは3本もプッシュコアを積んでくれたのです!
この「白い奴」が穴に引っ込んだ瞬間を狙います.
私が「いまです!」と叫ぶと,マニピュレータ担当者がヌンチャクのようなジョイスティックもどきを巧みに操ってマニュピレータを操作し,海底にプッシュコアを突き刺します.
ずぶっ!ずぶぶぶぶぶ.
ふかふかの泥です.どんどんとプッシュコアが海底に飲み込まれていきます.
プッシュコアの全長がほぼ海底に入りました.そしてゆっくりと,ゆっくりと引き上げます.完璧です.泥がとれました.
穴も白い奴も採れたはずです.
と思ったのですが,採れていませんでした.船の上に上げてみたところ,穴はくずれてよくわからなくなっていた上に,白い奴もいませんでした.穴が横に曲がってコアから外れていたのかもしれません.残念.
やはり穴はアナガッチンガーでなくてはうまく採れないのです.本日,確信です!!!
おっと,今日を終わらせてしまうところでした.
まだまだ潜航の途中でした.
「白い奴」の巣から一路,「深海底総合観測ステーション(以下,深海ステーション)」に向かいます.
(深海ステーションについての説明はこちらですが,いささか情報が古いようです.ここに載っているのは昔のステーションです)
初島沖の水深1175m付近には,長期にわたって映像や化学データを計測し続けている場所があります.それが「深海ステーション」です.
この航海中に知ったのですが,なんとこのステーション,2代目なのです.どうやら,2000年に更新されたとのこと.こういうステーションも更新するものなんだと,素直に感心.ちなみに更新されたときの論文はこちら.
このステーション,深海研究者には有名なのですが,まさか自分でリアルタイムに見えるとは思っていませんでした(ハイビジョンカメラ越しで,しかも人の潜航調査ですが).
そのステーションで,(横引さんが)やることがあります.
本日の潜航調査では,海底ケーブルの補修実験の他に,ある特殊任務を請け負っていました.その特殊任務のための装備もばっちりです.
我々アナガッチンガーチームは,この特務仕様のハイパードルフィンを「ワイパードルフィン」と呼んでいました.ふふふふふ.すごいですよ.ワイパードルフィンは!
まさかハイパードルフィンワイパードルフィンであんなことができてしまうとは!
次回,ワイパードルフィンの活躍をご期待ください.
(つづく)
14.潜航調査1日目 -4- ワイパードルフィン
初島沖の深海ステーションに到着したハイパードルフィンワイパードルフィン.ステーションに接続されている観測機器を持って帰ったりの業務があるらしいのですが,そんなことはどうでもいいのです.
今回の一番のお仕事(私が最も驚いたこと)はお掃除!です.
深海ステーションには常に深海生物の様子を観測するためのカメラがあります.そのカメラの窓に泥とかの汚れがつくと見えなくなってしまうのです.そのため,その汚れを数年に一回落とさなくてはならないのです.
拭き掃除だけのために潜航するのはもったいないので,今回のようにステーションに用事があるときについでに掃除をするのです.
しかし,この作業,見物でした.
朝からおかしいとは思っていたんです.
だって,ハイパードルフィンの装備にでっかい綿棒があったんですから.これから鎌倉の大仏の耳掃除にでかけるのかと思いましたよ.
ステーションについたワイパードルフィンは,とりあえずやるべき実験や観測機器の回収を行って,ついにお掃除タイムです.
装備品の「鎌倉の大仏用綿棒」をシャキーンと取り出し,ステーションのカメラの窓にそっと押し当て,やさしくキュッキュッキュッと拭いていきます.
ここで観測技術員が携帯電話を片手に「司令室」を出て行きます(初島沖はがんばれば携帯の電波が通じる).初島ステーションの管理をしている陸上局(初島にあるらしい)に電話です.観測技術員さんがすぐに戻ってきました.
「陸上局で確認とれました!視界良好です!!」
なんと,陸上局ではワイパードルフィンできちんと窓の汚れが拭き取れたか確認をしていたのです.
ワイパードルフィンの業務終了です.
さて,この間,私は窓ふきに驚き,半ばあっけにとられながらも,ステーションの前にあったあるものが気になって仕方がありませんでした.
ステーションの前の海底から数cmほど盛り上がる何か.その何かの上を真っ白いフサフサしたバクテリアマットが覆っています.普通,泥の海底というのは平らなんです.ところどころ波打つことはありますが,あからさまに出っ張っている部分とかはないのです.
採りたい.
あれ,採りたい.
一通り窓ふきが終わった段階で,私のミッションの発注です.残り2本のプッシュコアのうち,1本をここで使います.
「あれ,あの妙な出っ張ったバクテリアマット,あれ,採ってください!」
しかーーーーーし!!!
ここでちょっと待ったコールが横引さんから入りました.これまで私の無理難題を優しく引き受けてくれていた横引さんが,ついに私の暴走を止めたのです.
何事でしょうか.
なんと,その出っ張りのすぐ横をステーションにつながれた観測機器のケーブルが走っているのです.このままプッシュコアを実行すると,ケーブルを傷つけかねません.
危ないところでした.
ケーブルは,例の「出っ張りマット」近くで海底下にもぐってどこを通っているのかわかりません.海底を綿密に観察し,ケーブルが通っている場所を割り出します.
ケーブルと「出っ張りマット」の距離は約50cmないぐらいでしょう.ギリギリです.ケーブルが海底下で湾曲していたら,傷つけてしまう距離です.微妙なラインです.
ここで観測技術員が初島陸上局にホットラインをつなぎ,判断を仰ぎます.
返答がありました.OKです!
こわごわ,プッシュコアを突き刺していきます.わずかでもケーブルが揺れればそこで中止です.
大丈夫でした.プッシュコアによる海底堆積物の採泥(さいでい),完了です!
白い糸状(フィラメント状)のバクテリアとハイカブリニナ(巻貝)の仲間.バクテリアマットの間にはちびっ子巻貝が多数蠢いている(写真では見えないけど)
写真:野崎篤
船上に持ち帰ってわかったのですが,この「出っ張りマット」の「出っ張り」の正体はなんと巣穴でした.海底下で,おそらくゴカイのような生物が粘液で堆積物を固めたパイプ状の巣穴が海底面に約5cmも顔を出していたのです.
どうやら初島の海底はどんどんと浸食を受けて,海底が削られているのかもしれません.大きな知見です.
その巣穴を覆うようにフィラメント状のバクテリアマットがわんさか生えています.
そのバクテリアマットにはハイカブリナという1cmくらいの巻貝がいます.
そして!!!
なんと,バクテリアマットの間に1mmにも満たない巻貝たちが多数蠢いていました.
硫化水素濃度を測定してみると,とんでもなく高濃度です.
硫化水素といえば猛毒です.その猛毒にさらされながらバクテリアマットの間でいっぱいちびっこ巻貝が生きているのです.
しかも,私の見立てでは,このちびっこ巻貝,新種です.うん,間違いない!(と思い込んでいる)
やっぱ深海生物すごいや!まさに極限環境.こんなところで生きている奴らがいるなんて!!こいつらの生命力というか,そういうものに触れると,なんだかこちらも元気になってきます.ウォーーーー!
この巻貝が何者か,まだわかっていません.新種かどうか綿密な調査が必要です.近く,必ずや正体を暴いてやります!
ということで潜航調査の1日目が終了しました.
今日の潜航調査は人の研究だというのに,私もずいぶんと図々しくお願いをして,海底とステーションの超綿密な観察ができました.サンプリングもできました.
大収穫です.
一番の収穫は「海底は穴だらけ」であることがわかった点です.アナガッチンガーをいくらでも試すことができます!
(つづく)