アナガッチンガー物語 後編

あらすじ:世界初の深海での巣穴の型どりを新開発の「アナガッチンガー」で成し遂げた.そのあらましを語る「アナガッチンガー物語」.

いよいよ後編のスタート.潜航2日目.ついにアナガッチンガーの出番が来た!


後編の目次

前編はこちら>>

15.潜航2日目 アナガッチンガー潜航スタート!

16.ドーナツコロニーへゴーゴー! 潜航2日目(つづき) 

17.「コロ助」,設置 潜航2日目(つづき)

18.出撃!巣穴戦隊アナガッチンガー!!

19.深海にひそむ何か.そしてなぎ倒された・・・・

20.アナガッチンガー命名会議

21.海況悪化 巣穴を捨てるか?コロ助を捨てるか?

22.午前4時30分

23.ラスト・ダイブ

24.浮上

25.あとの祭り

あとがき



15.潜航2日目 アナガッチンガー潜航スタート!


2010年10月26日 ついにアナガッチンガーの日がやってきました.


今日は2回潜航の予定です.余談ですが,ハイパードルフィンの航海が採択されたとき,その採択通知には,「潜航日数 2潜航日」という記述がありました.


2日?潜航って1日,2日って数えるの?

と疑問に持ったことを覚えています.その後発覚したのは,潜航は1日に何回やっても良いとのこと.つまり,持ち時間が2日.もちろん,24時間体制ではないので,朝8時くらいから潜航を開始し,日没までに浮上してくれば,あとは何回潜っても良いとのこと.


一回の潜航で持って行ける道具の数は限られているので,いろいろ小道具がある場合は一日に何回も潜航した方がいいのでしょう.

一方で,浮上して,再度準備してまた潜る.これだけで,2時間以上のロスを考えなくてはなりません.深度が深ければ深いほど潜航と浮上にかかる時間も増していきます.道具などのキャパシティと時間の兼ね合い.難しい問題です.


私は2回潜航を選びました.


1回目潜航で,アナガッチンガーとコロ助を海底にセットする.そして,2潜航目で,セットした周辺で生物や堆積物を採集する.そういうプランです.


また,「コロ助」がでてきました.

「コロ助」は私の秘密兵器でした.JAMSTECの小栗さんが持ってきた機器なのですが,なんとびっくり!海水中の酸素の濃度を可視化できるのです!!数年前にこの話を聞いたときは本当か?と疑いました.サーモグラフィーみたいに色で酸素が見えるようになるんです.それをビデオやカメラの連続撮影で記録できる.すごいですよ.これは!


私の野望では,「コロ助」を海底の巣穴付近にセットして,深海の巣穴でどれだけ,海水と海底下の水(海底下の水にはメタンとか硫化水素が含まれていて酸素を消費する)とが反応しているのかを見て,さらにはその穴をアナガッチンガーで捕まえ,さらにさらに,その付近にいる生物の正体をつぶさに明らかにして,いかに深海生物が地球を呼吸させているか!を調べるつもりだったのです.


その「コロ助」は,当初は酸素濃度可視化装置という,何の面白みのない名前でしたが,ハイパードルフィンに搭載するために持ち手をつけたら「キテレツ大百科」に出てくる「コロ助」に似ており,さらには本日起きる大事件によって,すっかり「コロ助」という名になったのです.


さて,朝7時です.

朝飯前の重要な仕事があります.アナガッチンガーの仕込みです.


清家君と一緒に樹脂をアナガッチンガーに入れます.


「おっと!」


ちょっと樹脂が甲板にこぼれました.我々は不器用なのです.


でも何とか樹脂を入れ,次に硬化剤を注射器に入れます.

その注射器の先にキャップをつけます.キャップをつけておかないと樹脂と硬化剤が反応して固まってしまいますからね.

キャップは,注射器を押し込むとたぶん自動的に外れると踏んでいます.あまりキャップをきつくつけすぎると,注射器が押し込めないという問題があります.でも,ゆるくつけすぎると,途中でキャップが外れて注射器の先で樹脂が固まってしまうという大問題を引き起こします.

我々の力加減一つでアナガッチンガーの成否が決まります.


さあ,キャップを付け終わり,アナガッチンガーをハイパーチームに引き渡します.


ハイパーチームがアナガッチンガーをハイパードルフィンにセットします.


朝7時30分.朝食の時間です.私はドキドキして朝食に何を食べたか覚えていません.ろくに味あわず,すぐに甲板に戻ったのを覚えています.


我々のことです.何か事件が起きるに違いありません.それを予想して,つねに甲板にいました.準備は着々と進んでいます.


何も問題がないようです.



ハイパードルフィンの装備をもう一度確認します.


コロ助はハイパードルフィンに抱きかかえられています.

『愛されてるな~,コロ助』と訳のわからないことを考えます.

アナガッチンガーも装備されています.本当は4機用意していたのですが,スペースの都合で3機しか持って行けません.


アナガッチンガーの反対側にはペットボトルが装着されています.

私は,横国の3年生に航海までに宿題を出したのです.

宿題は『ベイトトラップをつくること』です.ベイトトラップとは,平たくいえば「餌を入れた罠」です.餌を罠に仕掛け,まんまと寄ってきて罠にはいった生物を閉じ込める装置です.


私は深海底の生態系を丸ごと理解したいと思っていました.ハイパードルフィンでは,大して動かない貝とかイソギンチャクとかしか採集できません.でも,生態系の中には,当たり前ですが,魚やらエビやら活発に動き回る奴らがたくさんいます.

本当ならハイパードルフィンの後ろに底引き網をつけたいぐらいですが,それはできませんので,ハイパードルフィンの本体にベイトトラップをつけることにしたのです.

このベイトトラップに魚とかが入ってくればもうけものです.

そのベイトトラップの製作を3年生3人に任せることにしたのです.



ベイトトラップに餌が入っていません!!!

昨日の夜のミーティングで,必ず朝飯前に入れておけと3年生に言ったつもりですが,自分たちのご飯に気を取られて,お魚さん達のご飯を忘れているようです.


すぐにそばにいた別の学生に3年生を怒鳴りつけに行かせます.


すぐに3年生が大急ぎでやってきます.手には餌を持って・・・・.


「何それ??」


「餌です!出航前に買ってきたんです」と3年生が答えます.


いや,ちょっとまて.それって,それって,もしかしてよ,鯖の味噌煮じゃねーか????

彼らが手に持っていたのは真空パックに入った鯖の味噌煮です.


いや,確かにね,「乗船前に餌の魚を買ってこいよ」とは言いましたよ.でもね,海に沈めるベイトトラップの餌ですよ.どうして,煮崩れしそうなほどに柔らかくなった鯖の味噌煮を買ってくるのでしょうか!?


なんてこったい.私がトラップにかかった気分です.とはいえ,今から釣りをするわけにもいきません.仕方がないのでその「鯖の味噌煮」をベイトトラップに仕掛けさせます.


3年生がベイトトラップの中に鯖の味噌煮を入れるそばから崩れていきます.そして,インシュロックという,キュルキュルと縛り上げるプラスチックバンドを餌とペットボトルで作られたベイトトラップにくくりつけていきます.縛れば縛るほど,身は崩れていきます.当たり前です.


私がいけないのですよ.きっと.アナガッチンガーに夢中になって3年生の面倒をきちんと見なかった私が・・・・.


そうこうしているうちに,潜航の時間がやってきました.ついに潜航です.


ハイパードルフィンがAフレーム(船尾についている一番大きなフレーム)に吊り上げられていきます.我々はハイパードルフィンの勇姿を写真に納めるべく,船尾や船橋後部(良い展望になっている)に散らばります.


ハイパーを吊り上げたAフレームがぎぎぎぃと音を立てながら海側に倒れていきます.


Aフレームが止まり,ハイパードルフィンを吊り上げているワイヤーがするすると伸びていきます.



着水!

ハイパードルフィンが海面に静かに沈みます.


ワイヤーケーブルはまだまだ伸びていきます.まだハイパードルフィンは海面を漂っています.

甲板では,作業員がワイヤーに浮きをつけていきます.

ハイパーが海底で作業しているときにワイヤーが絡まらないように,ワイヤーに浮きをつけておくのです.こうすると,ワイヤーはハイパードルフィンからまっすぐ上に伸びて,絡まることがありません.


まるでお餅つきのような息の合わせ方で,着々と浮きがワイヤーにつけられていきます.


最後の浮きがつけられました.まだしばらくワイヤーが伸ばされています.ハイパードルフィンがだいぶ船から離れました.


ワイパードルフィンの背中から急にぼこぼこと水しぶきがあがります.注水されているのです.これからハイパーが潜り始めます.


潜航開始です!!



16.ドーナツコロニーへゴーゴー! 潜航2日目(つづき) 


潜航開始後,すぐに司令室のあるコンテナ(船の最上階)に向かうべくタラップを駆け上がります.

司令室の扉を開け(この扉が重いのなんの!航海最初は鍵が閉まっていると思ったほど!),中に入ります.


ハイパードルフィンの司令室
ハイパードルフィンの司令室.運航チームがディスプレイの前に座り,研究者は一列後ろの座席に座る(研究者席はイラストに描かれていない).
イラスト:佐藤圭

司令室の中は,電気が消えているが,6台のディスプレイが明かりを点している.

すでに水深200m.


ディスプレイはほぼ真っ黒.マリンスノーだろうか,白い塊が上へ上へと過ぎていく.


たまに,やけに大きな白い塊が通り過ぎる.


「大きいですね」

私がつぶやく.



はっ!?

ふと気づく.


もしかして,今の「鯖の味噌煮」じゃね?


また,大きな白い塊が.


間違いない.鯖の味噌煮だ!

さっき3年生がセットしたベイトトラップの餌である「鯖の味噌煮」がどんどんと崩れて,いま,目の前を通り過ぎているのだ!これではサビキ釣りじゃねーか!!!!


この緊張感あふれる潜航シーンでまさか鯖の味噌煮が目の前をぼろぼろと横切ろうとは.


ハイパーチームからも苦笑が・・・・.


さて,気を取り直そう.


司令室には続々とチームアナガッチンガー,チーム横国など,わらわらと勢揃い.超満員の司令室.

研究者席は5名分しかない.この5座席に熾烈な争いが起きる.

1座席は潜航の記録(ダイブログという)を取る人のための席.研究者が1時間交代であたる.

さらに1座席はカメラ映像のキャプチャを行う人用の席.これも研究者が1時間交代.

残り3座席.


私は真ん中を占有.残り2席を,コロ助のときは小栗さん,アナガッチンガーでは清家君,生物採集のときは渡部さんや延原さんなどのように,奪い合う.

それ以外の人は床である.人数が多すぎてもはや床にも座れない.立ち見である.


床組にも仕事がある.

今回の航海では,私は横国の学生達に潜航中のいくつかの指令を出している.一つはルートマップ作り潜水艇の座標位置や進行方向,速度などから位置を割り出して地図を作成し,踏査地の地質と生物を書き入れていくのだ.これは横国大学院生の野崎君と宇都宮君に担当してもらった.彼らは陸上でいつもこのようなルートマップを作っているのでお手の物だ.


もう一つの指令がスケッチ.潜水艇の映像は,ともすると限定的で,全体像の把握ができない.そこで,学生2名(佐藤圭君と佐藤瑞穂さん;同じ名字だが縁はない)にスケッチをお願いした.学生の能力というのはどこにあるかわからない

二人とも驚くほどうまいスケッチを潜航中という限られた時間でスラスラ書いていく.このアナガッチンガー物語に挿絵として使われているのが彼らの絵だ.これらは清書をしていないスケッチ.それも潜航中の次から次へと場面が移り変わる中で描きあげてくれたもの.

佐藤君は写実的というのか,現場をリアルに再現した絵を描く.一方の佐藤さんはハイパードルフィンや深海生物の気持ちになった絵を描く.二人に絵の才能があるとは思いもよらずにダメ元で出した指令だったが,とんでもなくうまくいった.


格言「才能は無理難題によって開花する(かも)」


ちなみに,佐藤圭君はアナガッチンガー論文の著者の一人(ラスト・オーサー)だ.ここまではアナガッチンガー計画に関わっていなかったが,これから関わり出す.


さて,話に戻ろう.どうも脱線癖が抜けない.


皆の目線がディスプレイに注がれる.


海底から50m上で浮力調節.水深は1000mを超えている.

ディスプレイにあらわれる温度表示は2.8度


冷たい,暗黒の深海世界だ.


樹脂はきちんと固まるだろうか.(ほとんど清家君が)実験を何度かしたが不安は残る.



「海底視認」


ディスプレイを注視する.やや茶色っぽい泥底が近づいてきた.


このまま航走を指示.

海底は灰色から茶色一色である.良く見ると,穴はそこら中にある.

どこでもアナガッチンしたいが,今は酸素濃度可視化装置「コロ助」を抱いている状態なので,アナガッチンガーを発動できない.まずはコロ助を置かなくては.


今日は目的地がある.昨日の横引さんの潜航中に,空いた時間でそこらを探索させてもらったときに見つけたドーナツ状のシロウリガイコロニー


前に読んだ論文でアメリカ近くのドーナツ状シロウリガイコロニーでは,ドーナツの内側には大型生物がいないと書かれていた.初島沖ではどうだろうかと,興味が湧いた.


そのドーナツコロニーを目指す.


潜水艇のXY座標(メートル表記)を確認する.船では,潜水艇の発する音波を頼りに潜水艇の位置を把握していく.光(電波)がほとんど届かない海中では音波が何よりも頼りになる.


まだコロニーまで距離がある.


途中,木というか枝が落ちていた.


「止まってください!」

この枝が私の脳内レーダーに引っかかった.枝をよく観察する.

「うひょひょひょ.沈木群集じゃねーか!」


沈木群集.熱水やメタン湧水周辺に生きる化学合成生物が,海底に沈んだ木を栄養源にしている生態系だ.鯨骨群集と並んで,光合成と化学合成のリンクを示す生態系である.


ちなみに,私は「白亜紀でも沈木群集見つけました論文」を書いている.そしてその白亜紀沈木群集の記録は世界最古の沈木群集でもある(いずれ更新されると思うが).


まさかこの航海中に現在の沈木群集に会えるとは思わなかった.


しかし,両手が「コロ助」のためにふさがっている.今回はアナガッチンガーのための潜航なので,ろくに採集グッズを積んでいない


無理難題をふっかけてみる.


私「大野さん,できれば,あの枝拾って欲しいんですけど」

大野運航長「えぇっ?だって手がふさがっていますよ.だいたいどこにしまうんですか?」


私「いや,とりあえず,手でつかんで,そのまま枝を運んでくれたらいいのです.巣穴の型どりをする場所においておけば,後日取りに来れますから.」


ハイパーvs沈木

ハイパードルフィンvs沈木群集

見事,沈木をつかんで航走再開

イラスト:佐藤瑞穂

大野運航長は困った顔をしながら,マニュピレータ係に「コロ助」をいったん置き,枝を拾うように指示する.無事に枝を掴み,「コロ助」も持つ.


枝にはコシオリエビとおぼしき甲殻類が乗っているが,降りようとしない.しめしめ.


航走を続ける.


潜水艇のXY座標表示ではコロニーが近づいてきた.


いま,その地点を通過したはずだ.


何もない.


くそっ!XY座標がずれていたんだ.


音波で位置を計測しているので,平気で10mや20mずれてしまう.視程は10mほど.闇夜の樹海を懐中電灯一つでさまようようなもの.潜水調査で同じ場所に行くのは困難きわまりないのだ.


しかし,我々にはルートマップ係がいる.


「野崎~,宇都宮~,ルートマップどうなってる??さっき,6Kマーカー(昔,「しんかい6500」が置いていった目印)を通り過ぎたよな.あれとの位置関係どう?」


ルートマップ係である野崎君と宇都宮君が位置情報を整理している.


「もう少し,右方向に転回したところだと思います」

何となく自信のなさそうな声だが,私は彼らのルートマップ作成能力を高く評価している.海でも問題ないはずだ.



どんぴしゃ!


少し右方向に進路を取ったところでドーナツコロニーが見えてきた.

(つづく)



17.「コロ助」,設置 潜航2日目のつづき


ドーナツ状のシロウリガイコロニー.今日のメインターゲットだ.

シロウリガイが海底から顔を出している.シロウリガイは体の半分を堆積物中に埋め,体の半分を海底面上に出している.


死殻も多いが,よく見れば生きている奴らもずいぶんいる.彼らの肉は赤い.ヘモグロビンの色だ.


シロウリガイは海底下から湧いてくる硫化水素を食べて生きているすごい奴だ.より正確に言えば,栄養を作っているのはシロウリガイの鰓の中に棲む微生物だ.その微生物,名を硫黄酸化細菌(いおう さんか さいきん)という.硫化水素や硫黄を酸化してエネルギーを作り,栄養を作る.シロウリガイは硫黄酸化細菌から栄養を搾取する.

つまりですよ!

シロウリガイが硫化水素と酸素を,体の中の細菌に渡すと自分の体の中で勝手に栄養が作られるのです!!


こんなもんで驚いてはいけない.


こいつら,卵の中にこの硫黄酸化細菌を仕込んで,次世代に受け継いでいる母系遺伝しているのはミトコンドリアだけじゃないのだ!


シロウリガイは,まさに「ゆりかごから墓場まで」を体現した生物なのです.


チューブワーム(ハオリムシ)にはこのシステムがない.あいつらは子供のときにそこらにいる微生物をパクリとゲットするだけ.


どうだ!シロウリガイはすごいだろ!


ふふふ.そして,私から見ればそんなすごいシロウリガイでもただのひよっこに過ぎない.

なぜなら,奴らはたかだか5000万年前くらいに誕生した新参者に過ぎないからだ.


シロウリガイが誕生するよりも遙か昔,4億年くらい前に誕生した奴がいる.二枚貝の中でも最も原始的なグループに属するキヌタレガイだ.

キヌタレガイもシロウリガイと同じように硫黄酸化細菌を鰓に共生させ,その細菌を4億年もの間,先祖代々受け継いできたのだ(たぶん.注:いつから共生させていたのかの確かな証拠はない.微生物との共生関係を化石で明らかにするのは大変なのだ).


私はこいつを追いかけてきた.

海底が隆起し,今は陸上となったところで,キヌタレガイの化石と良く出会う.

キヌタレガイの化石が出てくる場所は,その地層が海底にあったときにメタン湧水があった場所であることがほとんどだ.キヌタレガイの化石と出会うたびに,メタン湧水生態系の本体はキヌタレガイだ!と確信を深めてきた


今回のターゲットこそ,そのキヌタレガイだ.

こいつらは堆積物に潜って生活する.だから海底面を観察するだけではこいつらの存在はわからない.


彼らが海底下でどのように生き,そして何をしているのか?それを明らかにしたい.彼らを知れば,メタン湧水生態系の全貌解明に近づくのだ.そう信じてきた.


さあ,いまこそ,アナガッチンガーの出番だ!(注:このときはまだアナガッチンガーという名前ではなく,巣穴型どり装置という名前でした)


おっと,忘れていた.その前で,まずは酸素濃度可視化装置「コロ助」の設置だ.


おっとおっと,そのもっと前につかんでいる枝をどうにかしなくては.


「とりあえず,枝はそこらにおいて,あとで回収しましょう」


投げやりな指示を出す.



これがいけなかった.



このあと,この枝がなくなってしまったのだ.コロニーのそばにおいたはずの枝が,回収しようと探したときにはなくなってしまったのだ.

なんてことだ,せっかくここまで運んだ枝が.俺の沈木群集が!!!いったいなぜ???

どうやら深海には我々の知らない何かが潜んでいる.


潜水調査の鉄則:目当ての品は手放すな.


気を取り直そう.両手が自由になったハイパードルフィン.

「コロ助」の設置場所を決めるべく,海底をズーム最大でつぶさに観察する.


穴は・・・あるあるあるある!!!

すごいじゃないか.ドーナツの内側にも外側にも穴がいっぱいあるじゃねーか!

誰だ?ドーナツの内側には大型生物がいないなんて言ってたのは?

ふふふ.この様子を記録するだけで論文が書けてしまいそうな気がするぜ.


コロ助の産みの親の小栗さんと私で,あれこれ大野運航長にお願いする.

穴めがけて酸素濃度可視化装置(コロ助のこと)をセットしてください」


大野運航長の指示で,マニピュレータ担当者が,慎重に「コロ助」を海底に設置する.


海底に埋まりすぎないように慎重に,慎重に・・・.


『ああっ!失敗.埋まりすぎだ!!!』

埋まりすぎると,海底面と海水との間での酸素のやりとりが見えない.


もう一度挑戦する.


『よしっ!今度は大丈夫』


ミッション1 コンプリート.コロ助の設置完了だ!


2日後に「コロ助」を回収すれば,そこには2日分の海底での酸素の動きが写っているはずだ.ふふふふふふ.

(つづく)


18.出撃!巣穴戦隊アナガッチンガー!!


次はいよいよアナガッチンガーだ!


今一度メインカメラを目一杯ズームして目を凝らす.

ハイパードルフィンの上の方についているCCDカメラも同時に見る. CCDカメラは,横からみるメインカメラと違って,海底を俯瞰的に見えるのだ. こっちの方が穴を見つけやすい.どの穴にするか困ってしまうぐらいだ.


おおお!!


メインカメラに写った穴からふわ~~っと砂が舞いあがっては落ちている.

湧水だ!!!!


正直に告白しよう.私はメタン湧水というのは目で見えないと思っていた

メタンガスバブルに海底面から出ることはある.しかし,バブルの無い湧水では湧水現象を視認することは不可能だと思っていた.


ところが,目の前にはボコボコと水が湧き出る様子が写っている.

これはすごい.

(今は動画編集の時間がないが,いずれきちんと映像を編集して皆さんにもお見せしたい.)


この穴を型どりしたいところだが,あまりに勢いが強いと樹脂まで押し返されてしまうので,もう少し静かな穴を探すことにする.


引き続きCCDカメラで海底全体を舐めまわすように観察する.


ひょひょひょ.なんだか良さげな穴,みーつけた!


ハイビジョンカメラで穴を確認する.


よし,ターゲット確認.

ついに発動するときがきた.


大野運航長に叫ぶ.

「あの穴を狙いましょう.巣穴型どり装置の枠を,あの穴に設置してください!!」


そう,このときはまだアナガッチンガーという名がついておらず,単に「巣穴型どり装置」と呼ばれていたのだ.


緊張の作業が開始された.


大野運航長の指示の元,マニュピレータが枠をつまみ上げた.


枠をそーっとそーっと海底に近づけていく.海底を乱さないように,穴を破壊しないように.


ぽとん.


枠の海底への設置完了!


次は巣穴型どり装置本体だ.まずはマニュピレータで「巣穴か型どり装置」の取っ手をつかみ,ゆっくりと持ち上げる.


「巣穴型どり装置」がメインカメラに大きく映し出される.


さあ,いよいよだ.


私や清家君が大野運航長にあれやこれやとお願いしていき,大野運航長からマニュピレータ係に指示を出していく.


まずは注射器の押す棒を止めていたストッパーを外す.大野運航長に「薄すぎる」とダメ出しされた,あのストッパーだ.今は十分に厚くなっていて,マニュピレータの強烈な力でも壊れることはないだろう.


マニュピレータがストッパーから伸びる紐をつかむ.


紐をひっぱる.


ストッパーが動かない.


やばい.ストッパーが外れなければ硬化剤は注入できず,樹脂が固まることはない.


さらに紐をひっぱる.


シュンッとストッパーが外れた.



よしっ!!!


次は硬化剤の注入.注射器の棒を押し込むのだ.


マニュピレータが注射器の棒を上から押す.


ぐにゃっ!


ああああ!ちょっと斜めに力が加わったのか,注射器の棒がへにょんと曲がった.棒は全然押し込まれていない.


もしかしたら心配していたことが起きたのかもしれない.


注射器の先は,樹脂で満たされた筒に入っている.注射器に入っている硬化剤が樹脂に触れれば当然固まってしまうので,注射器の先にはプラキャップをして,硬化剤と樹脂が直接接しないようにしている.


注射器の棒が入らないということは,2つの可能性が考えられる.

一つは,プラキャップがいつの間にか外れていて,硬化剤と樹脂が反応し,注射器の先がかっちんこっちんに詰まってしまった可能性.

もう一つは,ちょっと力を加えれば外れるはずのプラキャップをきつく閉めすぎた可能性.


いずれにせよ,注射器の棒が入らなければ話にならない・・・・・.




もう一度.もう一度,がんばるのだ.


がんばれ!ハイパードルフィン!!!!


マニュピレータがもう一度注射器の棒を押し込む.


ぐぐっ.少しだけ,棒が動いた.


ストンっ!!

棒が入った!!


やった.硬化剤の注入成功!!!




ふぅー.なんだか緊張のあまり全身が筋肉痛になってきた.



ここまでの作業は完璧だ.次は,最大の懸念事項,樹脂撹拌だ.



樹脂は混ざらなければ意味がない.



ハイパードルフィンの手首がゆっくりと回り始める.

まわりの研究者からなんとなく歓声があがる.

問題は中の錘だ.きちんと錘がパイプの中を暴れ回って混ぜ混ぜしているか確認しなくては.


メインカメラに目を凝らす.


うう.なんか酔ってきた.今日の海況は比較的良いが,少しは揺れている.揺れている中で,くるくる回る物体を見つめるのは良くない・・・.


しかし,回転に合わせて,フタから紐でつり下げられた錘がパイプの中を上下しているのが確認できた.


よしっ!この調子で回転させれば樹脂は完全に混ざるはずだ.


ハイパードルフィンの手首は回転し続けている.

ん?


心なしか,手首の回転スピードが上がってきているような.


調子に乗ったマニュピレータ係が,どんどん回転スピードを上げているのだ!!


ちょ・・・ちょっとまずいよ.

何しろ私と清家君は,フタが大水圧で抜けなくなることを懸念して,フタを軽くしかしめていないのだ.


ヒュンヒュンヒュンヒュンヒュンッ.


まるで音が聞こえてきそうなほど手首とアナガッチンガーが回っている.その遠心力にフタが耐えられるか?考えている場合ではない.回転を止めなければ


我々と同じ考えが頭によぎったのか,大野運航長が「おいっ!やりすぎだ!!」と叱咤.


回転が止まった.安堵する.危なく,ハイパードルフィンが樹脂まみれになるところだった.


十分に樹脂と硬化剤が混ざっただろう.


いよいよ,樹脂を巣穴に注入する.

さて,フタはあくだろうか.


上下のフタには水深1000m分の大水圧がかかっている.パイプの中が1気圧だと,いくらハイパードルフィンといえども,フタをあけることは不可能だ.そこで,フタに外とツーツーにする穴を開けてある.見かけ上,パイプの中と外は同じ圧力になっているはずだ.


アナガッチンガーの下のフタを外すべく,ハイパードルフィンのもう一方の腕が伸びてくる.その腕が下のフタから出ている浮きをつかみ,フタをひっぱりはじめる.


ギギギギギギ.アナガッチンガーの本体を持っている腕まで引っ張られていく.


ダメなのか?フタが抜けないのか?


そう思った瞬間,スポオオンッという音が聞こえるほど気持ちよくフタが抜けた.


よっしゃーーーー!!


この勢いで,最後のステップに突入する.巣穴への樹脂注入だ.


アナガッチンガーを海底にセットした枠の上に持って行き,徐々に傾ける.


樹脂が海底を目指して垂れていく.


あっ.ちょっと枠からはみ出た.

でも大丈夫.マニピュレータの位置がすぐに修正され,樹脂が枠内に収まっていく.


あとは自然に樹脂が海底にあいた穴に入っていけばよい.この樹脂は海水よりも重たいので,穴があれば勝手に入っていくはずだ.


ぽこ. ぽこぽこ.


注入した樹脂からバブルが出てくる.巣穴から出てきたバブル.その正体は海水だ.巣穴に樹脂が入っていき,中に入っていた海水が上に押し出されてきているのだ.樹脂が巣穴に入っていっている証拠だ


完璧超完璧ですよ.これは.


あとはこの樹脂が,きちんと深海底の低温環境下で固まってくれれば良い.


期待を胸に抱きつつ,この潜航でのミッションが完了した.


心地よい爽快感で大野運航長にお願いする.

「浮上してください」

(つづく)



19.深海にひそむ何か.そしてなぎ倒された・・・・.


巣穴への樹脂注入成功に浮かれている暇はない.


今日は2回潜航を行うのだ.


1潜航目の任務を終えたハイパードルフィンが浮上してくる.

心なしか,ハイパー君も一仕事終えた感が漂っている.


『きみきみ,まだ今日の任務は終わっていないからね.次の任務は生き物と堆積物の採集だよ.』

心の中でハイパー君と会話する.


甲板に揚収されたハイパードルフィンの装備が「採集モード」に換装されていく.MBARI式コアやスラープガン,サンプルボックスを積んでいく.

スラープガンというのは,サンプル容器から伸びたホースと海水を飲みこむ水中ポンプでできている.要は,水中ポンプの力でブワーッッと生き物を吸い込んでいく機械だ.私は深海掃除機と呼んでいるのだが,正式和名?は深海吸引機というらしい.かなり強力で,岩石に張り付いた生き物もゲットできる.


1時間後,見事に換装を終えたハイパードルフィンが,本日2回目の潜航へと向かった.

目指すは先ほどと同じシロウリガイコロニーだ.その周囲で生き物と堆積物を採集するのだ.


潜航開始から約1時間後,再び海底が見えてきた.着底せずにそのままアナガッチンガーを出撃させたシロウリガイコロニーに向かう.

ほどなくして,シロウリガイコロニーに到着した.


酸素濃度可視化装置「コロ助」も,アナガッチンしたあとも,きちんとある.

早速,各種サンプリングをはじめる.





そのとき,である.






「あっ!!」

私を含め,何人かの研究者が同時に叫んだ.







10mほど向こうにたたずんでいたコロ助が,突然,倒れた.

コロ助はカメラの片隅に写っていたのだが,突然,倒れたのだ.







何の前触れもなく.






コロ助は確かにちょっと不安定な形をしている.しかし,4本の"足"があり,しかもその足は半分くらい海底に埋まっていたはずなのだ.


それが,そのコロ助が,倒れた.


サンプリングに集中しようとしていたので,あまりきちんとコロ助のことを見ていなかったが,周りの変化は何もなかったはずだ.


なぜ,手も触れていないコロ助が倒れたのだ.


いったい何が起きたのか.


何かいる.そう感じたのは私だけではないはずだ.


断言しよう.深海には我々が見えない何かがいる.「深海のYrr(イール)」という小説があるが,あそこに出てくる"奴"も人間の目には見えない.そういうの,あるかもしれない.



ミッションは急遽「コロ助」救済計画に変更される.


サンプリング作業を休止し,ハイパードルフィンが「コロ助」の元に向かう.


私は心の中でコロ助に話しかける.


『大丈夫かい?コロ助君?』


『ちゃんと酸素濃度可視化装置動いてる?君の積んでいるカメラでちゃんと君をなぎ倒した奴を撮ったかい?酸素を超吸収しちゃう暗黒生物とか?それ見つけたらネイチャーどころじゃないよ!』


『それとね,いいお知らせがあるよ.今まで,見た目がキテレツ大百科のコロ助に似ているから,君のことをこっそり「コロ助」って呼んでたけど,今日から確実に「コロ助」だよ.だって深海で勝手にコロッころんじゃうんだもん.ねぇ,コロ助君!』 



と,悠長なことを考えているうちに,ハイパードルフィンがコロ助の体制を立て直し,元通りにした.


ちゃんと安定している.


やはり何かが「コロ助」をなぎ倒していったに違いない.

そう思いながら生物と堆積物のサンプリングに戻り,一通りの採集ミッションを終えた.


「深海のなにか」のせいで,午前中の爽やか&晴れやかな浮上から一転して,なんだかモチャモチャした気分の浮上になってしまった.


いったい何が起きたのか,すべては「コロ助」を回収すれば明らかになるだろう.

「アナガッチンした穴」「コロ助」は,明後日回収の予定だ.


明日は横引さんの潜航日.私は再び横引さんの実験の合間の時間をいただくことにしよう.

まずはこれから上がってくるサンプルの処理だ.

モチャモチャ気分を捨て,サンプル処理モードへと自分自身を覚醒させていく.

(つづく)




20.アナガッチンガー命名会議


今日の2回目の潜航から浮上してきたハイパードルフィン.


採集してきた堆積物や生物を速やかに処理しなくてはならない.


チーム横国は総動員.みんなで堆積物から生き物を探し出したり,堆積物から水を絞り出して硫化水素の濃度を測ったり,とそれぞれの役割分担をこなしていく・・・ように見える.


しかし,実際はチーム横国は何もかもがはじめての超素人集団.案の定,右往左往している学生たち.加えていろいろなミスが起こりそうになる.それを渡部さんと私がフォローしていく.せっかくのサンプルが台無しにならないように,目を光らせる.


しかし,さすがは乗船を志願してきただけはある.皆,すぐに作業に慣れ,着々と仕事をこなしていく.

夜11時くらいだったろうか.一通りの作業を終え,私はサイエンスルームに戻った.


アナガッチンガーズの清家君と渡部さんがいた.


二人ともまったりモード.


朝から緊張の連続で精神的には相当疲れている.しかし,なんとなく目は輝いている.


回収してみるまで予断を許さぬものの,少なくともアナガッチンガーによる巣穴への樹脂注入は大成功だったのだ.目が輝かないわけがない.

いったいどんな穴が深海の海底下にあるのか,それを,もうすぐ明らかにできるのだ.疲れてはいたが,少なくとも私の心の中には超新星爆発寸前のエネルギー超過飽和的な何かがあった.


「いやー,それにしてもうまくいったね~~」

「あのハイパーの手首にはびびったね.ほんとにあんなにクルクル回るんだね」

「あれ,もうちょっとスピード速かったら絶対樹脂が吹きこぼれていたよね!?」



などなど,今日の感動シーンを振り返っていた.


「そうだ.とりあえずうまく行きそうだからさ,名前決めようよ

「クルーズレポートも書かなくちゃいけないし,そのときに「巣穴型どり装置」じゃちょっとオリジナリティがないよね」


ということで,大事を成し遂げたまったり感の中で,アナガッチンガー命名会議がはじまった


渡部さん「こういう機械の名前は,一般的には開発者の名前が何らかの形で入るんだよね.○○式とかさ」


私「今回の場合だったら,たとえば清家君のフルネームで Koji Seikeでしょ.イニシャルにしてKS式巣穴型どり装置とか?」


清家君「日本人の名前の読み順にしてSK式巣穴型どり装置がいいですね.深海(ShinKai)もかけられますし.でも,作ったのは私だけじゃないのでいっそのこと,我々と野牧さんの名前も入れてみては?」


私「ええ?KS RJ HW HN式巣穴型どり装置??我々すら覚えられないぞ,そんなの」

私「アナグラムみたいにしてみようか? アナグラムって知ってる?たとえば僕の名前だったらさ,ROBERT JENKINS がスペルじゃん?ここで使われている文字を使って全然別の単語とか文を作るの.僕のスペルを入れ替えると,JOKER RENTS BIN (箱を貸すジョーカー)になるわけさ.」

渡部さん「それだとめっちゃ長くなるよね?短い方がいいよ~?」


一同考え込む.


私「よしっ!そしたら我々の名前をつけるのをやめよう.今回の研究はかなりイケるネタだと思うんだよね.科学的な成果ももちろんあるけど,一般の人々もワクワクできる研究だと思うんだ.テレビ受けも絶対するよ.みんなで「飛び出せ!科学君!!」に呼ばれるネーミングにしようよ!!



ここから,あーだこーだと色々なアイデアが飛び出すことになった.


清家君「巣穴を固めるわけですからね.『巣穴カタメール』はどうでしょうか?」


私と渡部さんの脳裏にはドラえもんが道具を出すときの音楽が鳴り響いた.




チャンチャララッチャチャーーン♪ 巣穴カタメール!(ドラえもんの声で)



みたいな・・・・.



確かに深海のドラえもんにはお世話になったけど,野牧君のことを深海のドラえもんって思っているの僕だけだよ?きっと.


私「ダメダメ,そんなドラえもんの道具みたいな名前.もっと勢いがないと」

と一蹴.


めげずに清家君が代案を出す.



清家君「では『巣穴カタドール』はどうでしょう?」



・・・・



私「なんじゃそりゃー!!そんなフランス人形みたいな名前は却下じゃー!!」


どんどんとヒートアップしていく命名会議.


我々はさ,みんなアラサーなんだよ.そのアラサー軍団が深海底で今まで誰も見てこなかった世界を暴こうというのだから,もっと格好良くないと.


そして名前から何をする機械か連想できないと.



最近の研究者が命名している機械やプロジェクトの名前は,横文字の,一見するとちょっとおしゃれなネーミングなんだけど,結局何を意味しているのかわからないものが多すぎる!

もっとダイレクトにいこう.オシャレなんか知ったことか!研究者にオシャレなんか求める方が間違ってるんだ!

ここは日本だぜ!俺ら日本人だよ!なんで英語にしなくちゃいけないのさ!?


清家君「あれ,ロバさんは日本人ではないのでは?

と冷静な突っ込み.

いや,私は確かに横文字の名前でハーフなんだけど,心は日本人だから.だって英語しゃべれないし.


だいたいね,僕が最初に英語論文を雑誌に投稿したときのこと知ってる?まあ,却下されたんだけどね.却下は良くあることだけどさ,その却下文になんて書いてあったと思う?




『論文の著者はネイティブイングリッシュな名前なのに,なぜ,本文の英語はネイティブイングリッシュではないのか?』



ふざけんじゃないよ.なんなんだよ!これまで英語がしゃべれないコンプレックスを抱いてきたハーフの繊細な心を木っ端みじんに砕かんばかりのこの却下文は!!!!!!


英語なんて,英語なんて!!

なんで日本語が世界共通語じゃないんだ!?

革命を起こさねばならないのだよ.とにかく微々たるところでも,さりげなく日本語をどんどん散りばめていくんだ.スシとかテンプラとかに続くんだよ!!


君たち知ってるか?ハテナって生き物を!?


はてな?って顔をしているな.


確か筑波大生物学科の人々が,動物でも植物でもない不思議な生物を見つけて「ハテナ」と名付けたんだ!このハテナは属名だ.正式な学名なんだよ(学名はHatena arenicola)!しかもしかも,あの超有名学術誌サイエンスに載っているのさ!!!


なんだか不思議な生き物だから「ハテナ」.

ほら,もう心に響き渡ったでしょ.「ハテナ」ってどんな生き物だろう?ってググりたくなったでしょ?


それが好奇心なんだよ.ネーミング一つで人間の好奇心は100倍にも1万倍にもふくれあがるんだ(ハテナの解説記事はこちら).


これを超えるネーミングで我々もサイエンス掲載を目指すのだ!!!


ストレートで,それでいて,なんかワクワクさせるような.


そうだよ.この「巣穴型どり装置」は,深海底の巣穴をがっちり固めてえぐり出す,そういう装置だろ.見えない海底下を暴き出す,見えるかな?みたいなドキドキ感を増幅してくれるネーミングが必要なんだよ.




ん?


巣穴をがっちり



穴をがっちり



穴がっちん




あながっちん





アナガッチン



アナガッチン.いい響きだ.


私「アナガッチンはどうよ?」


我ながらいいネーミングセンス.


しかしすぐに突っ込みが.


清家君「なんか締まりが悪くないですか?」

渡部さん「うん.なんかタイムボカンみたいだよ」


くそっ.


じゃあ,語尾を変えてみよう.格好良く.

そうだ,なんかアラサー研究者軍団,出撃!みたいな.

そういうイメージの語尾を.



アナガッチンガー.


アナガッチンガー!



アナガッチンガー!!!!



心に響き渡るじゃねーか!!



こうして「巣穴型どり装置」は「アナガッチンガー」という華麗な名前になったのだ.

さあ,とりあえずみんなで叫んでみようか.


合い言葉は

アナガッチンガー!!!


(つづく)



21.海況悪化 巣穴を捨てるか?コロ助を捨てるか?


アナガッチンガーが出撃した翌日.

この日は相乗り研究者である横引さんの潜航日だ.


今日も横引さんは海底ケーブルの水中での補修工法の実験を行う.

そして,私は横引さんの実験の合間を縫ってまんまと海底観察の時間どころか堆積物や生物のサンプリングもさせてもらった


私の過大な要求を快諾してくれた横引さんには感謝の念を表しても表しきれないほどである.


この日の潜航でもいろいろと面白いことがわかった.しかし,アナガッチンガー物語には直接の関係がないので詳細は割愛する.


この日の潜航が終わったあと,大野運航長に呼ばれ,連れ立って船長室に行った.


なんと,海況の悪化予想がでたのだ.明日の午後遅くからうねりが高くなるらしい.


本来は,明日は前回と同じく1日に2回の潜航を行う予定だった.ミッションは1.穴の回収,2.コロ助の回収,3.シロウリガイコロニーの縁辺部での堆積物・生物採集である. すべてを1回の潜航で行うには,ハイパードルフィンの搭載スペースの関係で無理である.


しかし,明日の午後は海況が悪化するとの予報.下手をすれば2回目の潜航がなくなるかもしれない.


大野運航長から19時までに1回のみの潜航の案を考えてくれと言われた.


え?今,17時過ぎだよ?


私は即座に主要メンバーを招集して緊急会議を行った.


1潜航ですべてのミッションを完了する.どうやったら良いか.


一番の問題は「コロ助」だ.「コロ助」を回収すると,搭載スペースがすべてつぶれてしまう.

巣穴にしたって同じだ.巣穴がどんだけでかいかわからないので,巣穴の回収ミッションでは,ハイパードルフィンに積める最大のサンプルボックス「鯨骨ボックス」を搭載予定なのだ.鯨の骨を回収するための巨大な箱をJAMSTECの藤原さんから借りてきているのだ.

しかしこの鯨骨ボックスをつむと,コロ助は積めなくなる.




コロ助の産みの親である小栗さんとアナガッチンガーの産みの親である清家君に確認する.






「コロ助」と巣穴の回収は来年になっても良いか.





小栗さんと清家君の顔が引きつる.



そして「・・・いいですよ」と.



判断は私にゆだねられた.

どうするか.どちらかを来年回しにするか?でも,来年これるのか?

今までのやってきた成果が今回出なくていいのか?

諦めることは簡単だ.でも,諦めない方法を考えるのだ.


とりあえず首席研究員である横引さんにも来てもらって大野運航長がいるハイパーチームの作戦司令室に行く.ギリギリの判断が迫られていま,首席研究員にも同席してもらた方が良い.


大野運航長に,何をどこまでつめるかギリギリの話をさせてください,とお願いする.


しかし,巣穴回収用の鯨骨ボックスと「コロ助」を両方搭載するのは極めて難しいことがわかる.わかっていたことだが,やはり両方一緒は難しい.


「『コロ助』をマニュピレータで持ったままあがるのはどうです?」

私が問う.


マニピュレータに通電しておけるのは水中だけなんです.だから,海面に浮上させる前には通電を解除しなくてはなりません.通電がなくなると,マニピュレータはだらんとして力が入らないのです.置いてあるのを押さえつけることはできます.しかしそれは重力頼みなのです」


なんと・・・.知らなかった.

つまり,マニピュレータで持ったまま浮上することはできない・・・・.



万事休す・・・・か?



私は最後の腹案を出した.


フックで引っかけましょう」


ハイパードルフィンでロープとフックを持って行き,すべての海底での作業が終わった後,ロープにつながったフックを「コロ助」に引っかけ,浮上する.もちろんロープの先はハイパードルフィンにつなげておく.


実はこの案,横引さんが考え出してくれた.我々の課題とは関係ないのにかくも協力してくれているのだ.


「それなら・・いけますね」

大野運航長からのゴーサイン.


「では,フック案で行きます.装備は鯨骨ボックスとスラープガン,MBARIコア積めるだけ,そしてフックロープでお願いします!!!」


明日は長い一日になりそうだ.

(つづく)



22.午前4時30分


最後の潜航に向けての準備が整い,私は眠りについた.午前1時くらいだったと思う.


明日が最後の日.そして,私の初めての研究課題の成否が問われる日でもある.


いろいろと考えているうちにまぶたが重たくなっていった.









・・・・









「ジェンキンズさん,起きてください」


ふにゃ?


「ジェンキンズさん」


大野運航長の声がする.


は!


もしかして・・・寝坊した???



私は飛び起き謝る.

「すみません.寝坊しました!」


「いや,まだ4時半ですよ」


そうか.まだ4時半か・・・.4時半ってめっちゃ朝早いじゃん.

何事?


「一緒にブリッジに来てください」


ただならぬ様子

これは何か一大事のようだ.

私は急いで着替えてブリッジに駆け上がる.


途中,階段でふらつく.眠いわけじゃない.船が動揺しているのだ.

もしかして・・・・.



悪い予感的中である.


ブリッジから見る海の様子がいつもと違う.夜明け間近でいつもより暗いことではない.風が出て,うねりもあるのである.


くっ.海況が思ったよりも早く悪化してきたのだ.

一気に目が覚めた.


船長が口を開く.

「ジェンキンズさん,見ての通り,海況が予想より早く悪くなってますな



今日の潜航は厳しいですね




何~!?


我々には予備日がないんだ.今日ダメなら,すべてが来年以降になってしまう.




船が揺れる.





私の心は船以上に揺れている.






「なんとか,なりませんか?」


それしか,言葉がでない.









船長は海を見つめている.











大野運航長が口を開いた.



「1時間だけ.」






1時間だけ潜りましょう.せっかくの巣穴,取りに行きましょうよ.




この瞬間,涙が出そうになった.ギリギリの判断だったのだろう.その判断に我々の気持ちを汲んでくれた.

本当に,感謝だ


船長も「運航長が言うなら,やりましょうか」と.


よっしゃー.本当に,ありがとうございます!



「遅くなれば遅くなるだけ海況が悪化します.ハイパードルフィンの投入開始をいつもより前倒しし,7時にします」


了解!


私はすぐさま階段を駆け下り,チーム横国ワントップの野崎君をたたき起こし,状況を伝え,全員をたたき起こし,準備を始めるように伝言する.


えらいこっちゃ」野崎君の口癖が飛び出した.



「朝食前に潜航開始.潜航中に速やかに朝食を食べ,食べ次第司令室に集合」


慌ただしい1日の幕開けだ.


潜航は1時間だけ.


1時間でやりたいことを全部やる.


巣穴の回収.堆積物と生物のサンプリング.

そしてコロ助の回収.


1時間で・・・できるかな.


いや,やるしかない.



そうだ.スラープガンのサンプル容器

今日の装備の一つがスラープガンである.別名,深海掃除機.ポンプで吸い取るスーパーサンプリングマシン.

これに接続したサンプル容器を,今日は多連式にしてある.6つのサンプル容器がリボルバー式にセットされており,サンプリングした場所ごとにサンプルを分けることができるのだ.


しかし,今日の潜航は1時間.


多連式を使っている時間はない.


大野運航長に多連式から単式へとサンプル容器の変更をオーダーする.単式の方が大量にサンプリングできる.


大野運航長からも装備変更の知らせが届いた.MBARI式プッシュコアを当初予定の3本から1本へ.

MBARI式プッシュコアを3本も積むと,カメラの視界がかなり遮られる上,マニュピレータの可動範囲も狭まってしまう.

1本か.仕方あるまい.



装備変更はハイパーチームが着実に進めてくれる.


あ.

そうだ.ベイトトラップ.


一昨日は衝撃の「鯖の味噌煮」を餌にしたが,やはりそれではダメだと思って,司厨長(船のコックさん)に頼み込んで冷凍の鯖を2尾も分けてもらってきたのを,昨日3年生に渡したんだった.


3年生に急ぎ餌を仕掛けるように伝える.1時間だろうが何だろうがとにかく何か採れるかもしれない.


寝ぼけ眼の3年生が鯖を持って走ってくる.


って,おい!


冷凍のまんまじゃねーか.しかも,君らがつくったベイトトラップより鯖の方がでかいよね.餌だけでいっぱいいっぱいで,獲物が入るすき間がまったくないじゃないか.これではトラップにならない・・・.



とにかく切り身にしてこいと怒鳴り散らす.


ルートマップ係の野崎君と宇都宮君と,今日の潜航ポイントについて再度打ち合わせを行う.


深海では目的の場所にたどり着くのが極めて難しい.


一番の問題は潜水艇の正確な位置を知ることが難しいことだ.地上であれば,GPSやらレーザー測量やらでcmオーダー,もしくはmmオーダーでの位置関係を把握できる.しかし,電波が使えない海中では音波で位置を把握する.


音波の速度は,海水の密度や温度で細かく変化する.だから海底での位置が実際の位置と異なることなど日常茶飯事.50mくらいずれてしまうこともある.


海底での視界は10mちょっと.


真夜中の富士の樹海を懐中電灯一つで歩き回るようなもの.


とんでもない世界だ.


その世界で,一昨日と同じ場所に確実にたどり着かなくてはならない.


一度でも見失えば,1時間などあっという間に過ぎてしまう.


ルートマップ係がいかに重要かわかるだろう.



しかし実は,我々には頼りになる奴がいる.「コロ助」だ.


いま,海底で着々と酸素濃度をチェックしている「コロ助」に秘密兵器が搭載されている.


音響ホーマと呼ばれる機械だ.

特定の信号を送ると,「コロ助」が位置を知らせるビーコンを送ってくれる装置だ.

音響ホーマが有効な範囲は50mほど.つまり,潜水艇が「コロ助」から50mの範囲に入れば,確実に「コロ助」を見つけることができる.


巣穴の場所と「コロ助」の場所は10mほど.視認可能距離だ.


音響ホーマとチーム横国のルートマップ係が組み合わされば,確実に一昨日の場所にたどり着ける.




切り身の鯖がやってきた.3年生が自作ベイトトラップに鯖を仕掛けていく.


準備万端だ.


午前7時.



いよいよ潜航開始.

(つづく)





23.ラスト・ダイブ



ハイパードルフィンが航海最後の潜航に向かう.ラスト・ダイブだ


調査船「なつしま」のAフレームにつり下げられたハイパードルフィン.

ワイヤーが伸びていき,着水.


1時間もしないうちに海底に到着するだろう.


我々は急ぎ朝食を食べにいく.とにかく腹に飯をかき込む.

何を食べたか覚えていない.


朝食後,すぐに潜水艇の司令室(コンテナ)へ向かう.


水深300m.あと,700mちょいで海底だ.



メンバーが続々と司令室入りする.

その間にもハイパーはどんどんと深く潜っていく.


皆の目がモニタの水深計に注がれる.


「海底まで50m」


船からの音響による位置確認では,予定の潜航ポイントよりちょっとずれている.流されているようだ.


着底せずに海底から数m浮上した状態で航走を開始してもらう.


ルートマップ係とハイパーチームが綿密に連携して位置合わせをしている.いい感じだ.研究者チームとハイパーチームの目標が1つに重なり,良いチームとして機能しているように感じる.


「コロ助」に近づいてきたはずだ.


音響ホーマを作動させる信号を送る.



返信は・・・まだない.



ハイパーの航走はつづく.




ピーーン



キター!!!


音響ホーマ,キターーーーー!!!


「コロ助」の位置を捕捉.レーダーに明瞭に写った.


そのままハイパーが突き進む.


「コロ助」視認.


そのまま「コロ助」を横目に見ながら巣穴にまっしぐら.距離10m.



巣穴を回収するベストポジションに着底.



樹脂は固まっているだろうか.



メインカメラには,アナガッチンガーの枠が,2つ海底に設置されている様子が映し出された.


樹脂が固まっているかどうかは見た目ではわからない.



どれほどの巣穴が海底下に広がっているかわからない.枠をそのまま引き抜くと巣穴が壊れるかもしれない.


まずは巣穴の周りの堆積物をどかす必要がある.


スラープガンでまわりの泥を吸うことにする(本当はスラープガンで泥を吸うと,ポンプが傷むらしいので良くないらしいが).


枠の周りの泥を少しずつ,スラープガンで吸っていく.


途中でスラープガンが枠にコツンとぶつかった.


枠と樹脂が同時に少し動く.どうやら樹脂は固まっているようだ. 期待が高まる.


スラープガンでさらに堆積物を吸っていく.



!!


おお.海底下に伸びる管状の樹脂が見えてきた!!


!!!!


その管から伸びるさらに細い管が見えてきた.



どうやら海底下には巣穴ネットワークが複雑に絡み合っているようだ.

浅海ならいざ知らず,深海でもこんな複雑な巣穴ネットワークがあるとは!





!!!!!!!!


なぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!



なんじゃやこりゃ!!!


きょ・・・巨大な空間が出現した.


海底面から伸びる管が,海底下10cmほどで巨大な空間につながっていたのだ.

巨大と言っても直径8cmくらいの空間である.人間にとっては小さいかもしれないが,生物界の中では巨大な空間だ.ましてや深海1000mにすらこんな空間が作られているとは,誰も想像していなかったに違いない.


すごい.


巣穴があることは想像していたが,まさか,ここまで多様,かつ,複雑な世界が海底下に広がっているとは.


やっぱ深海ってまだまだ何もわかってないことだらけじゃん!!!

おもしれーっ!!!


目の前でどんどんとベールが剥がれていく深海の海底下.


さあ,あらかたの堆積物は取り去った.いよいよ枠と巣穴を丸ごと引き上げるときが来た.


マニピュレータが枠から伸びる浮きをつかむ.


マニュピレータが徐々に持ち上がる.


ぐぐぐぐぐ・・・海底も盛り上がる


研究者から「おおお」という声が漏れる.



マニュピレータがさらに持ち上がる.


ぶわっ.泥が舞い上がり,煙幕が張られたようになる.


さらにマニピュレータがあがり,巣穴の全貌が見えてきた.



おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!

すごい.すごいよ.


研究室の中は研究者のどよめきの声でビリビリしている.


巨大空間だけじゃない.大きな巣穴から小さな巣穴がいくつも伸びている.たった直径8cmの枠の下にはこんな世界が広がっていたのか.


巣穴は海の環境,ひいては地球の環境を大きくコントロールしているかもしれない.巣穴から新鮮な海水が海底下に入り,海底下での化学反応を促進しているはずなんだ.


例えてみれば,この巣穴は毛細血管だ.巣穴は地球の毛細血管として地球の呼吸を促進しているんだ.絶対にそうだ.

しかも,深海は,地球の表面積の約6割,海の面積の約9割を占める深海を制する物は地球を制するんだ!!


こんなこと考えている場合じゃない!もう海底に着いてから30分も過ぎてしまった.


残り時間30分.まだ巣穴は残っているのだ.回収しなくてはならない巣穴はあと1つ. 本当はもう1つあるのだが,残り1つの回収は今回の潜航では時間的に無理だろう. しかし,あと1つは持って帰りたい.



早速,次の巣穴の回収に取りかかる.



もはやスラープガンを使ってチンタラやっている暇はない.


樹脂が予想以上に(!)固まっていることがわかったので,今度は熊手サンプラーでがっつりと枠の周りにある堆積物を掘る.


掘った堆積物はそのまんま巨大サンプルボックス「鯨骨ボックス」に投入だ.これで堆積物と生物のサンプリングも兼ねることができる.


しかし,巣穴が海底下にどのような方向に伸びているかわからない.

万が一にも熊手サンプラーで掘ったところに巣穴を充填した樹脂があったら樹脂型が折れてしまうかもしれない.


熊手サンプラーでゆっくりと細心の注意で堆積物を掘る.


もう一度,掘る.


行けるかな?半信半疑で,とりあえずマニピュレータで枠を軽く動かしてもらう.



モサッ.

海底が動く.



行ける.


マニピュレータで全力で枠を持ち上げてもらう.



モサッモハッ


再び泥の煙幕に包まれるが,煙幕の向こうに何やら巨大な巣穴が見える.


おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!



司令室に研究者の雄叫びがこだまする.船中を震撼させるほどの大音量だ.


今回の巣穴は長さ20cmに達しようかというアルファベットのY字型の巣穴である.しかも一つの枠に2つもついてきた.


このY字の巣穴.見たことがある.


浅海のキヌタレガイの巣穴そっくりだ.


そう,キヌタレガイ.


約4億年前に出現したアイツだ.今回の調査航海のターゲットのアイツだ.


シロウリガイをひよっこ呼ばわりできる,二枚貝の中でも最も古い系統に属する奴.


鰓に硫黄酸化細菌を従え,その細菌から栄養を搾取している奴だ.


そのキヌタレガイが浅海で作る巣穴とそっくりだ.


まさか深海で,この巣穴に出会えるとは.狙っていたとはいえ,それが本当に採取できるとは,驚きである.




!!!!!


Y字型の巣穴の一番下に何か茶色っぽいものが見える



殻だ.キヌタレガイだ.


間違いない.キヌタレガイだ


スケッチ組の佐藤君に問いただす.彼は卒業論文と修士論文のテーマがキヌタレガイという,キヌタレガイプロフェッショナルなのだ.


「んーーーー.キヌタレガイですね!」


彼が言うなら間違いない.決して,私の思い込みではないのだ.


我々は今回のメインターゲットを生け捕りにできたのだ.

巣穴だけから作り主を想定することはできるが,作り主を特定することはできない.しかし,今回は作り主を生け捕りにできたのだ.このY字の巣穴は間違いなくキヌタレガイが作ったと実証できたのだ!!


ここで確信した.我々が当初思い描いていたとおり,メタン湧水生態系の本体は海底下にあったのだ.


キヌタレガイの栄養源である硫化水素は海底下から湧き上がってくる.キヌタレガイは海底下の硫化水素を得るために,自ら海底下を掘り進んでいたのだ.


このキヌタレガイのサイズはわずか数cm.その数cmのキヌタレガイがつくる巣穴が20cm弱.


世の中にはもっと巨大なキヌタレガイがいる.30cmに達することもあるのだ.そいつらがつくる巣穴はいったいどれほど巨大なのだろうか.



今回の航海で,深海生態系の本体を少しだけ明らかにすることができた.しかし,これはほんの一部に過ぎないのだろう.


深海底には,まだまだ我々が想像を絶する巨大な巣穴ネットワークが広がっているに違いない.


次回の航海ではその全貌を明らかにしたいと思う.








はっ!




「コロ助」を忘れて浮上し,危なく物語を完結させるところだった.



時間は?


もう海底を視認してから1時間が経過していた.

タイムアウトだ.


(つづく)




24.浮上


2つ目の巣穴を回収したとき,すでに1時間が過ぎていた


いままで集中しすぎていて気づかなかったが,船が大きく揺れ始めている


海況がさらに悪化してきているのだ.


もうタイムオーバーなのか?



「運航長,コロ助,お願いします」

最後の頼みだ.


運航長が答える.

「わかってますよ」




感謝.




運航長が言葉を重ねる.

「ベイトトラップも回収しますよ.せっかく獲物がかかっているんですから.」




そう,実はベイトトラップは全部で3機作られていた.(当時)3年生3人が2機作り,修士1年生1人は1機作成した.このうち,3年生の新谷さんが作ったベイトトラップが一番デキが良かったので,一昨日のアナガッチンガー潜航のときに海底にセットしてきたのだ(餌は鯖の味噌煮だけど).


そのベイトトラップには,なんとエビが入っているのが確認できていたのだ.


鯖の味噌煮でも深海生物が引っかかることが明らかになった.


それにしても,私が半ば回収を諦めかけていたベイトトラップまで,この時間の無い中で回収してくれる.運航長の心意気に感謝だ.


私と新谷さんで声を張り上げる.


「ありがとうございます!」


ハイパードルフィンのマニュピレータが新谷式ベイトトラップを回収した.


そして速やかに「コロ助」の前に移動する.


しまってあったロープ付きフックを取り出し,フックをコロ助に引っかける.


準備万端だ.


運航長が問いかける.

「よろしいですか?」


満足だ.予想以上の大きな成果.

「はい.浮上してください!」



ハイパードルフィンが上昇し始める.


ロープがするすると下方に伸びていき,ピーンと張り詰める.


少しハイパードルフィンが引っ張られる感じになった.

そのままハイパードルフィンは浮上を続ける.


クンッ.一瞬ハイパーが軽くなったようになる.でも,ロープは引っ張られたまま.無事に「コロ助」が海底から離れたのだ.


海底での滞在時間1時間30分.

まさか1時間30分で予定通りの回収ができるとは.各チームの意識が一つになれば何だってできるんだ.そう感じた瞬間だ.


さあ,次はサンプル処理だ!


大役を果たしたハイパー君を,そして痛めつけられた「コロ助」を甲板で迎えてやれねば.



ハイパーチームにお礼を言い,私は司令室を後にした.



甲板ではすでにチーム横国がサンプルを運ぶためのコンテナなどを準備している.もう何も言わなくても自分のやるべき事がわかっているのだ.


そして今か今かとハイパー君の浮上を待ちわびている.


ついにハイパー君が海面に顔を出した.船尾から50m離れた地点だろうか.


ワイヤーケーブルがどんどん巻かれていき,ハイパー君が船に近づいてくる.

ついに揚収だ.


ハイパー君がAフレームに吊り上げられた.

ハイパー君からはロープが垂れ下がっている.


ロープの先は・・・・まだ見えない.



船員さんがロープをたぐり寄せる.綱引きの要領で,何人かの船員さんがロープを引っ張る.


ちゃんと,「コロ助は」いるだろうか?



見えた!


「コロ助」だ.どうやら無事なようだ.


船員さんの手により,甲板に揚げられた.



ハイパー君も甲板へとずりずりと降ろされ,そして固定された.


さあ,巣穴はどうなっているか.「鯨骨ボックス」を開けてみる.満杯の水.泥で濁っていて中が見えない.


清家君がそこに手を入れる.


泥水から出てきた手には巣穴が握られている.巨大空間のある巣穴だ. もう一つ,Y字型の巣穴も出てきた


Y字型巣穴の最下端を確認する.



間違いない!キヌタレガイだ!!!






すごいですよ!ロバートさん!!!


鯨骨ボックスを漁っていたキヌタレガイプロフェッショナルな佐藤君が何やら目を輝かせている


なんと,鯨骨ボックスにキヌタレガイが何匹も入っていたのだ.


この鯨骨ボックスの中には,回収した巣穴と,巣穴を回収するときにガサッと採集した堆積物が入っている.その堆積物中にキヌタレガイがいっぱいいたのだ!


キヌタレガイは,実は非常にレアな貝として知られている.採ろうと思って採れる二枚貝ではない.


ところがである.今回は我々はキヌタレガイをわんさか採集できた.さらには,キヌタレガイの巣穴まで採集できた.

彼らはいるところにはいるのである.


大野運航長がやってきた.



「巣穴,どうですか?」


我々は満面の笑みで答える.「ばっちりです!!」


浮かれて,皆で記念撮影だ.


大野運航長と巣穴と記念写真
大野運航長(中央)と巣穴との記念撮影.左が私,右が清家君.


ふと,横の方を見る.



小栗さんがたたずんでいる.

「コロ助」の前で.


こちらを見て,口を開く.


「あっかいです」



しばらく,漢字変換に戸惑う.


あっかい.



圧壊.



とてつもなく重たい二文字だ.





圧壊.





コロ助は,酸素を可視化するパーツとそれを記録するカメラ部に分けられている.その仕切りがガラス板でできている.

航海前に,そのガラス板の耐圧試験は行っており,1000mでも問題ないことが確認されていた.にも関わらず,ガラス板にヒビが入り,カメラが完全に浸水した.


つまり,データはすべて消えたということである.圧壊後はデータの記録すらされていなかったのだろう.



悲しい結末だ.

しかし,事実なのだから仕方がない.


いったいいつ割れたのか.


「コロ助」が突然倒れたのは,あの瞬間に浸水し,「コロ助」のバランスが崩れたためかもしれない.もしくは,本当に暗黒生物によってなぎ倒されたのかもしれない.今となっては何もわからない.いくら映像を見なおしても何もわからない.



アナガッチンガーの成功とコロ助の失敗.


むしろ,これで良かったのかもしれない.全部がうまく行っていたら,私は深海研究の難しさを知らずに有頂天になっていただろう.

深海を研究するのは難しい.「コロ助」の失敗によって,そのことが私の胸に深く刻まれた.


高い圧力,低い温度,光も電波も届かない世界.それが深海だ.



再び,小栗さんを見る.

少しだけ,顔が晴れやかになっている.


そうだ.クヨクヨしても仕方がない.ベストは尽くしたのだ.

今回の研究航海で,これだけの巣穴が深海底に広がっていることがわかったのだ.

この巣穴が,海に,地球にどんな影響をもたらしているのか.それを解明するのはこれからなのだ.


我々はいま,深海の海底下を明らかにする研究のスタートラインに,ようやく立った.

これで終わりではない.むしろ,はじまりだ.


ゆけ,巣穴戦隊アナガッチンガー!


(ほぼ完結ですが,つづく)



25.あとの祭り


今日は最後の潜航日であったと同時に,航海最後の夜だ.


つまり,打ち上げの日だ!!


「コロ助」が心に引っかかりつつも,アナガッチンガーの成功に皆,酔いしれた.

船長はじめとして,多くの船員さんから,アナガッチンガーのすごさをお褒めいただいた.


潜航中は,ハイパードルフィンのカメラ映像が船内のTVに映され続けるのだ.だから手の空いている船員さんはその映像を見ていたのだ.


それにしても,本当に楽しい航海だった.楽しさに浮かれてどんどん酒が入る.


「あの鯖の味噌煮はどーなの?」とか,くだらない話から「次の研究課題をどうする?」みたいなまじめな話まで,大いに盛り上がった.


そこに,大野運航長が登場した.


ハイパーチームはハイパーチームで打ち上げをしていたらしい.


アナガッチンガーの成功はひとえにハイパーチームのおかげである.我々の至らぬ発想や機械を,ハイパーチームが昇華させてくれた,


研究者一同で,感謝の言葉を述べる.


そして口軽な私の発言


「いやー,それにしても,このアナガッチンガーがまさか成功するとは思いませんでしたよ!


ピキーーーーン

大野運航長から即座に突っ込み


「えーーー!! だって,ジェンキンズさん,あんなに自信満々だったじゃないですか!!もうジェンキンズさんの言うことは信用しません!!!


一同大爆笑.



いやー,本当に楽しかった.


すべてが終わり,緊張が解けたせいか,それとも酒を飲み過ぎたせいか,なんだか眠くなってきた.


夢の中で,次の航海への妄想を膨らませるとしよう.

おやすみなさい.







これにて,アナガッチンガー物語,完.







あとがき


あとがきを書くのが随分と遅くなりました.本文を書いて少しの間燃え尽き症候群に陥っていました(笑).


さて,アナガッチンガー物語,いかがでしたか.

つたない文章だったと思いますが,調査航海の臨場感や我々研究者がどんなことを考えながら研究をしているのか,研究がとうやって進んでいくのかを少しは皆さんにお伝えできたと思います.一番伝えたかったことは,私が抱いたワクワク・ドキドキ感です.伝わりましたか?


私が研究している目的は,ワクワクしたいからです.真理の追究とか,誰も知らない世界を見たいとか,そういう言葉もありますが,自分の好奇心を満たし,自分がワクワクしたいから,研究しているのです.そして,人をワクワクさせたいのです.自分自身がワクワクすると同時に,周りの人にもワクワクして欲しいのです.

これが,私がアナガッチンガー物語を書こうと思った動機です.ふふふ.傲慢ですよね.だって自分の価値観を押しつけているのですから.


昨年(2011年),ドイツで開催された女子ワールドカップ.そのとき,私はちょうどドイツのミュンヘンにある古生物・地質博物館に客員研究員として在籍していました.「なでしこジャパン」のファンではなかったのですが,せっかく日本チームがドイツにやってきて,しかもワールドカップに出ているのだから見に行こうと思って,予選の日本対イングランド戦を見に行きました.

この試合は,残念ながら日本の敗戦でしたが,すっかりと「なでしこジャパン」のファンになってしまいました.そして,準々決勝の対スウェーデン戦と決勝の対アメリカ戦も見に行き,見事優勝した瞬間に立ち会うことができました.

この期間,試合中だけでなく,試合前も試合後も私はワクワク・ドキドキしていました.今日の試合のここがすごかった,次の試合はどう展開されるか,など,考え出すとワクワクしていました.


これはサッカーの話です.しかし,サイエンスにも通じる話です.


サイエンスの探究は,おそらくサッカー以上に私自身を,そして人々をワクワクさせられると思っています.なぜなら,好奇心というのは,ヒトが持つ最大の特徴であるからです.ヒトが持つ好奇心.何かを不思議がり,そのカラクリを知りたがる.それがヒトなのです.


そして,サイエンスの中で,私は応援席ではなく,一プレーヤーとしてフィールドに立っています.私のフィールドは,海であり,山であり,そして,これまでの地球の歴史の中にあります.私は,古生物学をベースとして,普段は山で化石を採集していますが,同時に,現在の生きている生物を研究するために海へと繰り出します.山と海と,そして,悠久の時間を自在に行き来できる研究者を目指しているのです.そういう研究者として,プレイしているのです.



ところで,皆さんが知りたいのは「結果」ですか?


サッカーの話に戻りましょう.試合のあと,ニュース速報や新聞で試合結果を見て一喜一憂する.これもありでしょう.でも,もっと興奮するのは試合を見ているときではないですか?ラジオでも,テレビ中継でもいい,生観戦であればもっと興奮するでしょう.誰がどういう動きをして,どういうゴールを決めるのか.失敗の連続から,ついにはゴールへとたどり着く.そういうプロセスにワクワクし,興奮するのではないでしょうか.


サイエンスも同じだと思います.

ここ数年,私自身が関わった研究でいくつかプレスリリースを出しています.それが新聞に取り上げられ,こういう結果がでました,という記事が世に出ます.


しかし,何か違うのです.違和感を覚えるのです.


確かに,私はある結果を出し,それを世に出しました.でも,プレスリリースや論文で「結果」だけを出していては,それは試合結果だけを伝える新聞やニュース速報と同じです.記録としては世に残るでしょうが,それだけです.

サイエンスはエンターテイメントです.産業に結びついたりもしますが,多くのサイエンスはエンターテイメントです.そのエンターテイメントを,結果だけ垂れ流してはいけないのだと思います.「結果」は重要ですが,「結果」だけではあまりにも寂しい.


最近では,サイエンスライターと呼ばれる職業の方々が「結果」をかみ砕いて解説してくださいます(まだサイエンスライターは少数ですが).そう,試合後の解説のように.そのサイエンスの背景を伝え,どこがどうなったのかを伝えてくれる.これも面白いです.でも,試合そのものの観戦もあってしかるべきだと思います.


いまの世の中に,サイエンスを観戦できる機会はどれほどあるでしょうか.ほとんどありません.チケットが売れないと勝手に思い込んでチケットを売ることすらしていない研究者が大勢います.結果,観客席はがら空きになり,一部のVIP席だけが同業の研究者によって占められているだけなのではないでしょうか.


そして,「その研究は何の役に立つのですか?」という質問におびえる羽目になっている.そんな気がします.


たいがいの研究は何の役に立つのかわかりません.いずれは何かの役に立つかもしれませんが,現時点では海のものとも山のものともわからないのがほとんどでしょう.でも,多くの研究は自分や皆をドキドキさせれます.だったらみんなでドキドキしましょうよ.


ホームページやFacebook, Twitterなど,チケットを配る方法も充実してきました.研究者自らが,自らの言葉で,自らの研究を説明できるチャンスなのだと思います.世の中に自分のドキドキ・ワクワクを伝えていけば,世の中もドキドキ・ワクワクしてくると信じています.そして,それが自分自身のさらなるワクワク体験の旅の原動力になるはずです.


これからもワクワク体験を書きますのでどうぞよろしくお願いします.そして,皆さんも一緒に,できればフィールドで一緒に,ワクワクしましょう!!




最後になりますが,いろいろな方々にお礼を言わねばなりません.

アナガッチンガー物語を読んでいただいてわかったと思いますが,最後まで常にギリギリ街道まっしぐらでした.一番大変だったのは清家君をはじめとしたアナガッチンガーズの面々でしょう.そして無謀な研究課題を抱えることになった首席研究員の横引さんです.彼らには感謝をいくら伝えても伝えきれません.

そして,各種調整をしてくださったJAMSTEC運航部の佐々木さんや大野運航長を筆頭としたハイパーチーム,ハイパードルフィンの母船「なつしま」の皆さんは,最後まで,本当にこの研究を実施できるのか半信半疑でドキドキものだったと思います.本当にありがとうございました.

また,この研究課題を提案したとき,私は東京大学大気海洋研究所HADEEPという組織にいました.ここでは小島先生や徳山先生,西田先生に,そして何よりも塚本さんにことあるごとに励ましていただきました.HADEEPに行っていなければ現生の研究に突き進んでいなかったかもしれません.どうもありがとうございました.

そして,この航海に参加してくれた皆さん,特に横国間嶋研究室の学生さんには何から何まで助けられました.間嶋先生には,アナガッチンガー試作機を笑われたけど,快く学生を船に送り出していただきました.そして,アナガッチンガーが成功してから,なんと「馬鹿にして悪かった」と謝罪の言葉をいただきました(笑).何でも言いたいことが言える人間関係.一番重要な研究環境かもしれません.


最後の最後に,Twitterで感想をリアルタイムに送ってくれた皆様,感謝です!

あまりに長くなってきて途中で挫折しそうになりましたが,最後までこぎ着けられたのは,Twitterでの感想があったからだと思います.どうもありがとうございました!!



2012年4月5日 ロバート・ジェンキンズ