研究者にもとめるもの

2019年1月27日 11:32 カテゴリ:研究日誌

ロバートです.こんにちは.

小田原近くの神奈川県立生命の星・地球博物館で開催中の日本古生物学会第168回例会に参加中です.

今回の例会でのシンポジウムは,博物館での開催だけあって古生物の「復元」がテーマになっていました.内容自体は面白かったのですが,研究者とは何か,研究者はどこまでやるべきなのか,について考えさせられました.

今回のシンポジウムの総合討論で,シンポジウム発表者に事前に出されていた宿題「自身の研究成果をどう展示するか」が発表され,パネリストが突っ込むというのがあり,違和感を抱いたのです.

研究者は研究をして,その成果を論文として公表します.論文の中で,取得したデータから古生物の「復元」を行います.姿形の復元もあるし,生態の復元,進化様式の復元など,様々な復元があります.

ここで,「復元」という言葉について簡単に触れておきます.名古屋大の田中先生の発表にもありましたが,古生物学における「復元」は,「推測・推定」に置き換えることができます.古生物を実際に蘇らせるのは現実的には不可能ですので,各種データから古生物の姿や進化様式を「推定」する.これを我々古生物学者は古生物の「復元」と呼んでいると理解しています.

その「復元・推定」結果の表現は様々ですが,基本的には文字で表現することです.そこに補足説明として図や表などを用います.

つまり,古生物学者は,古生物の「復元」を論文の公表として行い,その表現方法は論理的に構成された文章に重きが置かれ,その文章を補足するための図や表を提示します.

ここまでが研究者の最低限の仕事なのだと思っています.

それで,最初に述べた私の「違和感」が何にあるのかというと,研究者自身に"その先"を求めすぎていると感じたことです."その先"とは,すなわち一般への情報発信です.

私は研究者自身も一般への情報発信をすべきだと考えていて,それは例えばプレスリリースであったり,自身のウェブサイトなどでの論文の解説記事というやり方かと思います.
それ以上の情報発信としてサイエンスカフェの実施や博物館への展示などがあると思いますが,研究者の仕事としてはオプションなのかと思います.もちろん,できる人,やりたい人はやれば良いですが,それはあくまでも本務を超えたアディッショナルな仕事であろうと考えます.

もちろん,研究者が博物館学芸員である場合は,自身の研究を含めてどう展示などに活かすかを考える必要があると思いますが,大学や研究所に勤める研究者はその限りではないと思います.

私が危惧しているのは,昨今は研究者にあらゆることを求めすぎていてマルチな能力を発揮できる対応できる人間しか"研究者"として生きのこれない世界になりつつあるということです.
研究者の中には,口下手な人間もいるし,デザインセンスはからっきしという人もいます.朴訥とした人もいます.でも,情熱をもって研究している人はいますし,地道に標本と向き合っている研究者もたくさんいます.そういう研究者を排除する世界にはなってほしくないというのが正直なところです.

私の場合は,"その先"の表現も含めて興味ありますし,自分の研究成果,古生物業界全体の研究成果を多くの人に知ってもらいたいと思っているので,研究の広報活動もやっているつもりですが,その部分はやりたい人がやれば良いことかと思います.

むしろ,様々な研究成果をうまく世の中に伝える役割を持つ人がもっとできてくれるといいなと思います.たぶん昔はメディアがその役割を担っていて,それはいまでも続いているのだと思いますが,一方で,これだけデジタル技術による革新が続いて表現の幅が広がってきているなかで,メディアだけでは対応できなくなってきているのだと思います.
学芸員も,博物館という職場に縛られることが多いでしょうから,「サイエンスの成果を世の中に伝える仕事」がもっとあったら良いと思います.もちろん,最近ではサイエンスコミュニケータが増えてきて,その仕事の一環なのかもしれませんし,もしかすると大学や研究所の広報の仕事なのかもしれません.いずれにしても,研究者の研究成果を"拾う"ことを生業にする方がまだまだ少ないので,増えていくと良いと思っています.